「自由な判断」だけでは、
とてもこの世の中を生きてはいけない。
…それも痛いほど、よくわかる。
ある意味、
自分で判断をしないというのは
…大人的な感覚なのかもしれない。
今持っているものなら誰も求めない。
「自由」を求める気持ちがある
…というのは、それだけ
日常が不自由であることの裏返し。
本当の「自由」。
あるいは、
求めている「楽」を
突き詰めてしまうと…
死ぬのが一番楽
…という結論を招きかねない。
楽な道ばかり追っていると、
何も得られないし、
終いに死にたくなっちゃう、ってことだ。
この肉体という刑務所に幽閉されているうちは、
どうあがいたって、
自分の意志とは別に
腹も減れば、眠くもなるし…疲れるし。
だから、
そのどうしようもない前提を受け入れて…
人生はポジティブに生きたいと思う反面、
人生はストイックなものであると私は考える。
別にストイックにならずとも、
とりあえず生きてはいけるが…
それでは外部からの制限に嫌気が差すだけ。
生きてるうちに実現できる
気まぐれでない「自由」があるとしたら、
それは自分で自分を制する自由だけかもしれないな。