山の頂上はひとつだが登山路はいくつもある。
・・・これが、
宗教の違いに対するガンディーの考え、だという。
頂上にある自然や人間の心理は、
どんな宗教の教えを通して学んでも、
結局は同じだという考えだ。
だから・・・
どの登山路を登らないと意味がない
・・・といった意見や、
どの登山路の方がいい、といった争いは
無益なことだ・・・ということだろう。
皮肉にもガンディーは、
こうした宗教間の争いが元で
暗殺されてしまったのだけれど。
宗教的な感覚について
私はほとんど知らないが・・・
前にも書いたとおり、
企業家だろうが、芸術家だろうが、
起業家だろうか、スポーツ選手だろうが、
最終的に言っていることは同じだと、
私も常々感じていた。
それが私の中の
ガンディー的な部分なのかな。
確かに・・・
多くの人の生活を支える企業を作った経営者と
金メダリストは、どちらが偉い、なんてことは
・・・言えないものな。
ともすれば・・・
優れた職業=いくら稼げるか
・・・ということになりがち。
結果として大勢の人たちに受けいけられれば
金は後からついてくるものだから、
それもひとつの目安には違いないが・・・
もうひとつ、ガンディーの代表的な思想である
禁欲主義からすると、それさえも
ほとんど意味を持たないように思えてくる。
この不安だらけの人生を生きていくうえで、
数字としてはっきり現れる金は、
私を含め多くの人たちにとって、
いわば宗教的にすがりたいものなのかもしれない。
だけど、それも・・・
しょせん登山路のひとつに過ぎないな。