サッカーの試合に行く時のためにと
渡してあったSuicaでゲームを買ってしまう。
これはレシートで発覚。
サッカーの朝練があるから、
絶対起こしてと言っておきながら、
いざ起こすと「起こし方が悪い」と逆ギレ。
…と、まあこんなことが続いた中1の次男。
その場で鉄拳を喰らうだけでは済まず、
久々に「反省文」提出の刑となった。
枚数は30枚。
提出期限を延ばし延ばしにした挙げ句、
土曜日の提出期限を破った場合には、
サッカーを辞めると宣言。
連日連夜、原稿用紙に向かう次男。
…が、金曜までほとんど進んでいなかった。
100枚の反省文を書いた長男は、
懐かしさ半分で次男を指導する。
土曜日。
次の日にサッカーの試合を控え、
ケツに火の付いた次男は、
イッキに反省文を書き上げた。
その字の汚いのなんの…。
同じ話は繰り返し出てくるし、
反省文なのに、何故か物語口調になったり。
が、そんな支離滅裂な中にも、
家族に対する冷静な見方や
サッカーに対する素直な思いが
所々出てきて興味深い。
やっぱり書いてみることだな。
漠然と感じていることも
具体的に書き起こしてみると
客観的にとらえることができる。
実際、一番よくわからないのは
他人ではなく、自分。
自分のこともわからないのに、
他人を理解しようったって無理がある。
むしろ、
自分がわかれば他人もわかる。
つまりは人間がわかる…ってこともあるよ。
ここのところ、
わかる、とか、わからない、とか
…そんなことを書いていたけど、
わからないものには
気遣いもできないから、ね。
苦しいくらい満腹な人には、
いくら美味いものでも薦めるだけ嫌われる。
そういう人が本当にほしいのは胃薬だろ。
子供に反省文を書かせるのは、
子供自身が自分のことを知るのと同時に、
親も子供のことを知るためだ。
そして何より…
どんな言葉で叱り飛ばされたって、
嵐が去るのを待つだけだけど、
自分で書き上げない限り、
辛さから逃げ切れない。
誰とでもなく自分と戦わなければならない
…ってのが、
まさに灸を据えるにはもってこいなんだ。
ホームページを毎日更新してるのも、
毎日自分に灸を据えてるようなもんだよ。