西暦2012年…平成24年が明けました。
正月早々、何とも陰気な話で申し訳がないけれど、
年末に義父が他界したために、
今年はおめでとうが言えなくなりました。
最も…
人生の価値観がいっぺんに変わってしまうほどの
未曾有の大震災を経験した日本人にとっては、
この正月、普段通りに祝う気になれないという気持ちも、
もともとあったけれどね。
いつまでも引きずるより、
正月くらいは何もかも忘れてパッとやった方がいい
…という考えもあろうかとは思うけれど、
今自分が感じていることを誤魔化したって
楽しくも何ともないから。
今年の正月は…
一休のシャレコウベを気取ってみるか。
正真正銘の喪中だしな。
うちの子供たちは死に対して、今のところ恵まれている。
それは肉親や身近な人における死別の順番が、
ほぼきっちりと年齢の順だから。
不慮の事故で亡くなるケースもないし、
世間から見れば、みな長生きな方だし。
これはもう個々の努力を超えて家系的なものかもしれない。
ただ、長生きする
…ということは、
それだけ長い間、
わずらわしい肉体を引きずりながら、
税金を支払い続けなければならない
…ということでもある。
短命な人に比べて、たくさんメシを食う分、
たくさん働かなければならない。
だから一概に
長生き=幸せだとは思えないんだけれど、
親しい人と一緒にいられる時間が長い
…という点においては、やっぱり幸せなのだと思う。
一緒にいる時間が長ければ長いほど、
別れはより辛くなってしまうが、
それも人生における累進課税
…のようなものと考えるしかない。
深夜、母親が祖父の元に車を走らせ…
やがて鳴った携帯電話での受け答えを聞いて、
目を覚ました中3の娘は、そのまま布団の中で泣きじゃくった。
隣で寝ていた小6の次男は、
まだそのまま寝かせておき…
高3の長男を起こして事態を伝えた。
珍しく寝ぼけた様子はなかったが
…それでも呆然と布団の上にしゃがみこんでいた。
私も祖父母たちの訃報は、
今の長女や長男と同じ年頃に聞いた経験はある。
しかし、私の場合は
正月と盆くらいしか会わなかったが、
義父は近所に住んでいたから、
子供たちにとってのショックは大きいに違いない。
さて、受験生である長男、長女の
頑張る目標が、また新たに加わった。
勉強が得意だった
天国のおじいちゃんに
誉めてもらえるよう頑張るんだ。
本当に近くに住んでいる親たちと違って、
どこから見てるかわからないから
…誤魔化しはきかないし、ね。