20110123
でじたけ流 教育論第546回

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私がカミさんのことを人に話す時に“カミさん”と読んでいるのは、あきらかにコロンボの影響によるところが大きい。

カミさんは元々高校の一級下で10年くらい付き合いがあって結婚したわけだが、なんと今年の秋が来ると結婚20周年になる。

50年に満たない人生のうち、30年も一緒にいられるということは、よほど気があっているのか、よほど相手を邪魔に感じないか、だな。

中学生、高校生は弁当持ちなので、私も一緒に弁当を作ってもらって、昼は事務所でそれを食うのがいつものパターン。したがって朝昼晩ほぼ毎日カミさんが作った食事だけを食べてることになる。

すると、次に食べたくなるものがみごとに一致することがよくある。

そろそろラーメンが食いたいな、と思うとラーメンが。たまには親子丼が食いたいな、と思うと、その晩はカツ丼だったりすることが間々ある。

それだけなら気の合う夫婦というだけの話なのだが、気はあってもペースはまったくといっていいほど違うから、ちょっとズレてくる。

私は思い立ったが吉日だから、食べたいと思ったらすぐに食べる主義。日中外出していて珍しく昼外食した時に限って、昼にラーメンを食うと晩もラーメンなことが多い。

うちの夫婦がその多少のズレを問題にしないのは、ズレてても平気でいられるからではないか。例えば私は昼ラーメンで晩またラーメンでもまったく平気だし、極端に言えば一日三食同じメニューでもそう飽きない。腹が減ってりゃ何でもいいのだ。

結婚して間もなくの頃。カミさんは手の込んだ料理を作っていたのだが、腹が減りすぎて待ちきれない私は生にんじんを旨い旨いとかじった。カミさんはガッカリしていたけど、もちろん手の込んだ料理も残さず平らげたよ。その時、カミさんは私にとって何が必要かを知ったと思うし、私はカミさんが料理を作るのが好きだということを知った。

ここ最近、意見がぶつかるのはやはり子供たちのこと。躾や進学の問題だ。

私がいつも言っているのは両親の意見は決して一致させなくていいということ。なまじ一致させてしまうと子供に逃げ場はなくなってしまうし、親たちがどんな意見を持とうが、自分の進むべき道を決めるのは自分でしかないんだから。

よく、うまくいかなかったのを後になって、それを勧めた人のせいにする奴がいるけれど、そういう幼稚な習慣をつけてしまったのは、たいてい親だろうと思う。

子供にとって親は一番身近な“大人の見本”。だから理屈で固められた体裁ばかり見せるのではなく、時には理不尽であっても、現実を見せる必要がある。

ただし、それは決して親の弱さを見せる、ということではない。親に限らず強くなろうとしている人の姿を見なければ誰もいい意味で影響はうけない。弱さを見せつけてなれるのは反面教師だけだ。

男と女がまったく同じ思考やタイミングでいるのなら、どちらか片方で事足りることになる。違いがあるからお互いを必要としてるわけで、その違いを実感させるのは子供たちにとっても真の勉強じゃないか。

よく“似た者夫婦”なんてことを言うけれど、うまくいくようでいかないのが似たもの同士だとも思う。ちょっした違いに対する抵抗力がないうえ、志向が同じ分、平行線をたどることになってしまう。

ゲーテは「台所に女が2人いたら、料理はうまく作れない」と言ったけど、確かにクレイジーキャッツに植木等は2人いらないもんな。


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