食卓の上に
冷蔵庫から出した麦茶のポットが
出しっぱなしになっているのを見つけ、
その場にいた誰かに
「しまっとけ」と言うと…
たいてい、こんな答えが返ってくる。
「自分が出したんじゃない」
その度に、こう言い返す。
「誰が出しっぱなしにしたとしても、
おまえがしまっとけ」
で、しぶしぶ誰それのせいで
…なんて言いながら冷蔵庫に向かう。
そこで、もう一喝。
「じゃあ俺の腹が減ってなかったら、
おまえが腹ぺこでもメシはやらない」
かなり飛躍した話ではあるが
自分に関係ないと決めつけて楽をしようとする、
あるいは
見返りのない手伝いや
他人の尻ぬぐいをするのは損だと考える
…そんな狭い了見には無性に腹か立つ。
突き詰めてみると自分の存在理由というのは、
ほかの誰かの役に立っていることであり…
自分のためだけなら
生きている必要さえないのかもしれないし、
周囲の人や、
もっといえば世の中の役に立たない者の居場所はない
…私はそう考える。
そしてその考えを子供たちに伝える必要があると思っている。
黒澤明監督の遺作「まあだだよ」の後半で
人生を悟った主人公がこんな台詞を言うらしい。
「みんな、自分が本当に好きなものを見つけて下さい。
自分にとって本当に大切なものを見つけるといい…」
実際の映画を観てもいないのに言うのはナンだけど、
簡単な言葉のようでいて、
実に深い意味合いの言葉だな。
本能だけで生きる植物や動物は、
子孫を残すためだけに生きているが、
人は決してそうではない。
多くは他の植物や動物と同じく、
子供が一番大切なものになるが、
大切な仕事を見つけ出して、
そのために生きることもできる。
いずれにしても自分のために生きている
…なんていうのは大きな勘違いだろうし、
生かされるための仕事を探し続けるのが
人生そのものなんだと思う。
その大前提を感じられないと
結局は自壁にぶつかることになる。
自分勝手な世界を思い描くことは
自然との間に自分で強引に壁を築くことでもある。
この世そのものが刑務所みたいなものなのに、
さらに独房に入り込むようなものだな。
あいにく本物の刑務所に入ったことはないけど、
刑務所には刑務所の楽しみだってあるんじゃないか?
小学校も中学年以上になると、
何かと損得勘定が出てくるものだが…
そんな小学生と同じような不平不満を言う
見た目だけは大人という輩が多いのにも閉口してしまう。
偉そうなことを言いながら、
いざとなれば逃げ出す無責任な連中が考えているのは、
自分を活かすことばかりで活かされることではない。
仕事に自分を表現するだけで許されるのは芸術家だけだよ。
ただし芸術でメシは食えないけど、ね。
最初から活かされるほどの技術など凡人にはないんだよ。
頼りにされる能力は訓練を積んではじめて得られるもの。
まずは…
他人が出しっぱなしにしている麦茶を
何のためらいもなく
冷蔵庫に率先してしまえる自分を作り上げるところからだ。