20010408
でじたけ流 教育論第44回 生への 2

例の本は、私が中学、高校時代に教わった先生たちにも贈った。

本当は小学校時代の先生にも贈りたかったんだけど・・・所在がわからない。
自分が今の長男と同じ頃に教わった先生のコトは、よく覚えている。
元気ならいいんだけどな。

中学の時に教わった先生から手紙をもらった。

いろいろ恥ずかしくなるようなことも書いてあったけれど・・・
「教育批判や教師批判が足りないのでは?」なんていう意見も書かれていて・・・
やっぱり、こういうコトを言う人に教わってたから私はこうなっちゃったんじゃないか、なんて思ってニガ笑いした。

小学校2年になった長男の学校がはじまって・・・
先週書いた先生への手紙の返事を早速、長男が運んできた。

担任は1、2年は変わらないらしい。
とりあえず律儀な先生でよかったな。

きれいな読みやすい字で書かれていた手紙の内容は・・・
まるで少女のようだった。

書きながら自分で悩んでいる様子がよくわかる。
それだけ素直で真剣なんだろう。

・・・で、早速私は、また返事を書いてしまった。

前略

大変失礼な言い方かも知れませんが・・・
先生からいただいたご返事があまりにも「素直」な感じがして、微笑ましく読ませていただきました。

前回も書きましたように、私が感じたことを文章にするのは「趣味」ですから・・・
「また返事が来ちゃった」と負担に感じないでください。

思ったことを伝えたり、行動に表さないというのは、何だかとっても気持ちが悪いんです。
タイミングを逃して、やらないでいると、本当はできたことまでできなくなってしまって・・・
生きる道がだんだん狭まっていってしまうようでね。

こうして、きっかけを見つけては誰かをつかまえて人生訓をタレる・・・
なんてのは、すっかりオジさんの証拠のような気もいたしますが、
相手の言葉だけでなく、自分の言葉にも刺激され
とにかく動き続けないことには自分の人生を切り開くことなどできないと思います。

ちょっと大げさ過ぎるかも知れませんけどね。

マーク・トゥエインの言葉に・・・
「元気になりたかったら、他人を元気づけることだ」というのがありますが、
本当にとそうだな、と思う場面は多々あります。

そういうワケで、また強引に私の「趣味」につき合わせて申し訳ありませんが、
しばらくの間、お時間を拝借させてください。

さて・・・
たとえ自分の名前でも習っていない字については漢字で書いてはいけない・・・
という件について、先生もお手紙の中でご説明してくださっていましたが、
その後、息子の話を聞いていて薄々「同じクラスの子が読めないと困るからなんだな」とは思いました。

確かにそれは合理的な理由だと思います。

ただ、先生もお手紙に書かれていたように・・・
「教師側の都合で子どもたちの興味、関心、意欲をうばっているのかなぁ」
という一面も、やっぱりあるかも知れません。

私は「教師」という職に就いたことがないので・・・
実際、仕事としてこなしていかなければならない内容や、どこまで教師本人の裁量にまかされているのかについては、よくわかりません。

通常の仕事の中にも稼ぐために「こなしていかなければならない」部分と、よりいい仕事をするために「挑戦していかなければならない」部分があると思います。

最近はあまり話題になりませんが、一時、CI(コーポレートアンデンティティ)が注目された頃、何でもかんでもマニュアル化することが流行りました。
必要からすると言うより、流行ってるからやるという具合に。
その証拠に、広告関係の仕事をしている私は、ずいぶんいろんな会社のマニュアル作成に携わられてもらって、ずい分稼がせてもらいました。
自社の、社外秘のマニュアルを社外の私のような人間が作っているのですから・・・何となく可笑しいでしょ?
そこには社外の「風」を入れるという意味合いもあるでしょうけど、たいていの場合は「やってる本人がわからない」んで社外に頼むというのが実情です。

話がややズレてしまいましたが・・・

小学校低学年の段階は、まだまだ「自主性」を重視するより「覚えなければならないこと」がたくさんあると思います。

でも、例えば「名前の漢字」ということを考えた場合・・・
せっかく同じ釜のメシを食うことになったクラスの友達の名前を含めて、まず自分やクラスの友達の名前の漢字を覚えるというところからはじめても私はいいように思います。

中には難しい漢字の子もいるかも知れませんが・・・
そもそも、難しい字とか簡単な字って誰が決めたことなんでしょう?

画数が多かろうが何だろうが、一生つき合っていかなければならない名前なら、やっぱり真っ先に覚えるべきだと思います。

最近は息子もひとりで友達の家に遊びに行くようになりましたが・・・
表札は漢字で書いてあるのが普通ですよね。

今、さまざまなメディアで言われている学校の問題は・・・
ようするに学校という「特殊な環境」と「実際の世の中」とのズレだと思うんです。
学校内の限られた常識で世の中は動いていません。

もし、クラスの友達の名前に使われている漢字から覚えよう・・・
ということを実践したら、クラスによって子供たちが知っている漢字はまちまちになるでしょう。

けれど・・・それで、いいんじゃないでしょうか?

別のクラスの子と友達になる機会があって・・・
その時に子供同士でお互いに知っていることを教え合うというのは自然のことのように思います。

みんな一律に同じでなければいけない・・・
もし、そういう考えが学校にあるとしてら、それは恐ろしいことのようにさえ感じます。
それでは福祉の気持ちすら育ちませんからね。

効率や合理性を追求していい業種とそうでない業種は確実にあると思います。
効率ばかり追求していると、扱うモノはみな、工場で作られる規格品になってしまいます。
でも、ご承知の通り・・・人間はそうではありません。

そこが「教師」という職業の大変なところだと思います。
大変だからと言って一般の会社のように合理性ばかりを追求できないところがね。

インターネットを通じて私がお知り合いになれた方々とイベントをやることに関して・・・
「道具を使いこなす人と使いこなせない人との差はやっぱり大きいですね」
と先生は書いてくださいました。

正直申し上げて、うちのような小さくて人数のいない会社では・・・
道具を使いこなせないと、人並みの仕事はできないんですよ。

それから、私はかろうじて30代ですが・・・
仕事や家庭を抱えた今の年齢になると、自分がやってみたいことでも「できない理由」はいくらでもあります。
けれど、便利な道具を使いこなすことで、それはできるようになるんです。

だから本当にいるのは・・・
「できる人」と「できない人」ではなく「やる人」と「やらない人」だけ。
それが21世紀だと私は思います。結局、どの時代でも同じなんでしょうけれど。

私も、まさか自分が毎日コンピュータに向かって仕事をしたり遊んだりするようになるとは思いませんでした。
でも、これからの子供たちにとっては、これが「当たり前」ですよね?

そういう時代の「人づきあい」も基本は同じだと思います。
ただ、道具が便利な分、簡単に「バケの皮がはがされてしまう」時代になったのも事実。

とかく道具の操作方法だけが話題の中心になりがちですが・・・最後は、やっぱり「人間性」。
ひと皮ふた皮はがされたくらいで信用を失わない人間性を育てるのは・・・息子たちの年代ですよね。

「人間性」と言うのが大げさなら「クセ」と言っていいかも知れません。

また何だか、とりとめもない話を長々としてしまいました。

初めにも書かせていただいたように・・・
私の場合、こうして自分の考えをまとめているに過ぎず、決して出来た人間というワケではありません。

実は、この手紙の内容をホームページのネタにさせてもらったりしていますから。
ただ先生のお手紙の内容をそのまま載せるようなことはしていませんから、どうぞご安心ください。
第一、ホームページを見ている読者でさえ、私がどこの誰かも知らないのですから。

こうやって、継続的に話をさせていただいている方が世界中にいるんです。
そうだ・・・先生とも近いうちにメールのやりとりができたらいいですね。

また余計なことを言ってプレッシャーをかけてしまったかな? 申し訳ないです。
でも、もしこうして生徒の親たちと個々の意見のやりとりができたら・・・
教育の現場も、そして家庭での親のあり方も、少しは変わるような気がしませんか?

では、今後とも何卒よろしくお願いいたします。

敬具


息子の担任の先生と文通しているなんて・・・妙な感じもするけれど
これも「出逢い」のひとつには違いないだろうから・・・

でも、いちいち封筒に住所書いて、切手をはってポストに持っていくのは面倒だから・・・
いっそ、先生にクラスのホームページでも開いてもらって、BBSでも作ってほしいな。
アクセス制限して、関係者にしか公開しないサイトでいいからさ。

まぁ・・・そういう時代は確実に近づいてると思うけど、ね。


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