20080727
でじたけ流 教育論

第417回

思い出づくりと大人になる理屈


子供たちは夏休み・・・

夏休みに入るひと足前から
ハワイに住む妹一家が久しぶりに来ていて、
うちの3人の子供たちに加え・・・
妹のところの、
高1(日本では中3)の娘と
中1の息子を交え、
大はしゃぎの日々が続いている。

すっかり夜更かしになってしまった
子供たちを黙らせるのは・・・怪談話

黙るには黙るが、
結局、怖くて眠れなくなって・・・
朝寝坊を加速する結果に。

・・・まぁ、それもいい思い出になるだろう。

自分の子供時代を思い返してみても・・・
よほどのことがない限り、
あの時、どんな話をしたのか
・・・なんてことは覚えちゃいない。

覚えているのは・・・
どこに行った、とか
何を食べた、とか
楽しかった、とか
怖かった、とか
疲れた、とか
・・・あとは
誰が笑ってた、とか
泣いてた、とか、ね。

頭で理解したことじゃなくて
・・・五感で感じたことばかり。

ハワイの2人なんかは
日本語より英語の方が得意だから、
なおそうだろう。

何故そう感じたのかを
第三者に説明するために
理屈や言葉があるだけで、
理屈によって感じるわけじゃないんだな。

言葉の意味に何かを感じるんじゃなくて、
誰がそれを言ったのかによって感じることも多い。

例えば・・・
自分の嫌いな人に
「あんたなんか嫌いだ」と言われても
「あっ、そう」で終わりだけど・・・
好きな人に同じことを言われたら
・・・悲しくなるもんな。

私が次男を叱ると
次男はしぶしぶ従うが・・・
長男が私と同じ叱り方を次男にしても
・・・次男は反抗する。

それが何故なのか
・・・今の長男にはまだわかっていない。
同じ理屈を言ったのに・・・どうして?って感じ。

そうした「正しい理屈」の
言葉の意味だけでは伝わらないものを
少しずつ理解し、
自分の行動と理屈のギャップを埋めていくのが
・・・大人になっていく、ということかもしれないな。



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