![]() 第346回
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先週・・・
子供たちの自主性を導く ・・・という大義名分のもとに 朝寝坊しているという話を書いたら 「子供たちが可哀想」と言われてしまった。 なので今回は少しばかり名誉挽回のために 親らしい話を書こうと思う。 ・・・一応「教育論」のページだし、ね。 深夜・・・ 「おとうさん」という小1の次男の声がした。 続けて・・・ 「おしっこ」と言う。 「一人でして来い」というと 「そうじゃなくて・・・もらした」 ・・・だって。 仕方なく起きあがり、 着替えさせて、布団に応急処置を施して 再び寝かせる。 どんなに熟睡していても 「おとうさん」というこのキーワードで ピクッと起きるようになれると・・・ 自分は親になっていると自覚する。 子供が生まれたての頃も 赤ん坊の泣き声にはかなり敏感になる。 これは意識とか自覚とかなんじゃなくて、 ほとんど動物的な感覚と言っていい。 きっと、どんな親でも感じていることだろうね。 だから、街中を歩いていても、 どこか知らない子供が親を呼んでいる声に、 つい振り返ってしまったりする。 しかし、この 種の保存のために与えられた 動物的な感覚も・・・ 習慣が伴わないと、すぐに失われてしまう。 歩いたり走ったりするために与えられた 足の筋肉が使わないことによって衰えるように。 もともと動物として備わっている 優れた感覚や能力も 使わないと錆びついて動かなくなってしまうのだ。 錆びた感覚をもう一度磨きなおすのには、 かなり労力がいる。 労力と同時にここではじめて意識も必要なる。 意識しなくてもできたはずのことなのに、ね。 考えるからわからなくなっちゃう。 こと子供に関しては・・・ 最初から親としての感覚をフル活用しておかないと、 親がリハビリしているうちに 子供は子供でなくなってしまうよ。 努力しなくてもできたことをせずに、 後から苦労するのは・・・ メシを食うために金をつかい、 また痩せるために金をつかうのに似ている。 気がついた時点で間に合えばいいんだけど。 自分一人があきらめたつもりでは 済まないところが・・・親の責任ってやつだ、ね。 |