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 ご愛読者の声  2000.4.2 up 

Episode No.185(990331):
嫌でも最期は
死んじゃうんだから・・・!
去年の今日、digitake.comに掲載した内容をメールマガジンとして発信しはじめたのは、2000年2月の初め。

その後、ホームページの1日あたりのアクセス数をはるかにしのぐ、約1,750名の方にご登録をいただいてます。

私としては1年前に自分が学んだコトや考えたコトを思い起こす意味で・・・。
また、同じネタを重複して書かないようにメルマガを活用していますが。

時折、BBSではお見かけしないメルマガ版の読者の方からもメールをいただくコトがありますが、実は2000年3月31日版のメルマガ版については、珍しく・・・というか初めて、その日の内容に関するメールを何人かの方からいただきました。

その3月31日版の内容というのは「自殺」について・・・。

1年前にこの内容をホームページに載せた時には、それほど印象に残る反応もなかったように思いますが、今回はちょっと深刻に考えさせられてしまうモノがありました。

いただいたメールの一部をご紹介しながら、あらためて考えてみたいと思いました。

Aさんからいただいたメール
はじめまして、Aと申します。

勇気が出る!メールマガジンでは、いつもお世話になっております。
毎回楽しませて、そして勇気づけて頂き、本当にありがとうございます。

3月31日に配信されましたメールマガジンのことで、ひとことお礼申し上げたく、このようなお手紙をお送りさせて頂きました次第です。

私は最近、夜眠れなくて困っています。
不眠症というのではなく、夜眠ることが“もったいない”と思えてならないのです。何をするわけでもなく、ただ無性に目覚めていました。

原因は分かっています。今の私の仕事です。とても向いていない。
その仕事が悪いというのではありません。ただ、私には合っていないというだけで。
なぜ私がこの仕事に就いているのか‥思うたび、その経緯にいかに意志がなかったかということを思い知らされます。流されてきた、などと、言い訳にもなりません。結局私はここへ、自分の足で歩いてきたのですから。

この仕事を続けている限り、私は眠ることを悔やみ続けるでしょう。毎日、家へ帰り自分の時間を数えれば、ほんのわずか。何のために、何をするために自分がここに在るのか。生きる目的を考え続け、未だ答えは見つからないまま。そんな状況で眠り朝を迎えてしまったなら、私は何をしているといえるのだろう…?

意味がない、と教えられるのを、ひどく恐れているのかも知れません。本当は違う、何かできるはずなのだと、心の奥底で消せない思いを抱いています。

しかしこのままでは、大げさに言えば私は死んでしまいます。睡眠不足は体調をひどく害し、体内の各所で障害を引き起こし始めました。精神的にもダメージは大きいようで、このまま行けば私は、確実に死を予感するでしょう。
それでもまだ生きているのは、私のなかで涙ながらに訴える私がいるからです。
本当は生きていたいんだよ!と…。

まだ、この仕事を辞めるわけには行きません。あと数年は、ここにいなければなりません。
それは選ばずに生きてきた、罪への罰なのでしょうか。どのようにして償えば、
また償えたとしたら、私にできることはあるのでしょうか。

―これが、少し前まで私が考えていたことです。
今も、やっぱり同じことを考えています。ですが、向いている方向が、今までとは少し違う気がします。
それはあなたが下さった、勇気の出る言葉のお陰です。

もやもやと霧が晴れないので、はっきりとした言葉でお伝えできなくて申し訳ありません。それでも私は、何か、強く暖かい何かをあなたから頂きました。
本当に本当に、本当にありがとうございます!

私は人付き合いが苦手で‥相談できる人がいないもので…。
涙が出るくらい、嬉しかったです…!

それではこれにて、失礼させて頂きます。私の無礼を、どうかお許し下さい。
さようなら。

もとはと言えば毎日更新するホームページは、私が自分の修行をつもりではじめたモノ。

毎日毎日エラそうなコトを書かせていただいていますが、それはともするとすぐにくじけてしまう自分を戒めるため・・・というのが正直なところです。

こうして毎日「宣言」してしまえば、反対のコトはできませんから、ね。

最初は文章の練習のつもりで、軽いエピソードだけ書いていましたが、そのうちだんだん自分の考えが全面に出てくるようになってきてしまいました。

本当を言うと資料を調べるのが大変・・・というコトもあるんですが、やっぱりその調べた出来事に対して自分はどう考えるのか、とか今の自分の生活にどう活かすコトができるのか・・・というコトをより強く感じるようになってきました。

感じたコトは伝えたいのが人情で・・・。

そんな自分勝手な思いが少しでもお役に立てたのなら、私の方こそやり甲斐があるというモノ・・・そういう意味で、皆さんから一番「勇気」をもらっているのは私自身だと思います。

Bさんからいただいたメール
「生きること」の勇気でました。
別に死ぬ気ではなかったのですが、死のうとする人間は「責任」を履き違えるのだと思います。
そういうことで、今回のものは感動しました。
これからも勇気出る!メール作ってください。

私にも家族があって、子供も3人います。
仕事のうえでも私を信用して任せてくださるお客さんがいらっしゃいます。

歳相応の苦労や責任を負わないと、歳相応の幸せもつかめない・・・というのが私の考えです。

生まれてしまったら、もう生まれなかったコトにはできないし、子供がいれば親として頑張るしかありません。

夜遅く家に帰ると、カミさんや子供たちはとっくに寝ているコトが少なくありません。

仕事から戻って来た私に対して、カミさんは先に寝てしまってすまないと思うらしく、いつも起きようとしてくれます。

こんな時、中には「ダンナが疲れて帰ってきたというのに寝てるとは何ゴトだ」と怒る亭主もいるようですが・・・私は全然そういう風には思いません。

むしろ、こうやって家族のみんなが平和に寝ているところを見ると「頑張って働いている甲斐がある」と感じます。

最も別のところでは、結構ワガママな亭主かも知れませんが・・・。

あるいは、仕事が忙しくて自宅で徹夜になった時。
こめかみにはサロンパスを貼り付けて「もう、これ以上はダメだぁ」と根を上げそうになるコトもしばしばですが・・・。

明け方、子供が泣いて起きると今まで仕事に使ってきた神経とは別な神経がパッと動き出します。

子供をなだめながらニッコリすると「何だ、まだ俺、笑う余裕あるじゃん」なんて思って安心したりするコトがあります。

Cさんからいただいたメール
たぶんメールは迷惑でしょうが、お許しください。
「勇気の出る!」は、読むたびに、本当に頭のイイ人だなぁと、いつも感謝して拝見してます。テンポの良い、理論的な内容には、いつも頭が下がります。
私などのレベルで、メールを送るのは失礼なのですが、お許しください。

沖田浩之さんの自殺のお話、武田鉄矢さんの話もはじめて知りました。
毎回とても勉強になります。ただ、正直申しまして、今回に限り、少し気になりました。

学校の先生は、学生時代出来なかった人ほど、学生の気持ちがわかり優秀な先生になる?と聞きます。

武田鉄矢さんは、学業は出来なかったかもしれないけど、人生のエリート?なのかなぁと感じました。苦節があっても乗り越える能力をもっているという意味で、です。

自殺してしまう人は、健常者ではないでしょう。ノイローゼなのだと思います。
武田鉄矢さんのように、乗り越える力がある人が、無い人のことを、頭から否定してしまっては、病人である彼らの立つ手が無いように感じました。

同情するとか肯定するという意味では無く、今も悩んでいるかもしれない人達を助けるためには、彼らの立場で発言できる人がいてもいいのかなぁとも思います。

でも、乗り越えること自体が大変で、武田鉄矢さんに限らず、皆、その自信が無いから、強がりの発言になってしまうのかも知れないなぁと考えたら、健常者は勇気が出ますね。 ちょっと違うかな?

単なる独り言として、読み流して下さい。
毎回とても感化させられております。
ますますの、ご活躍をお祈りしています。

自殺してしまうような人、あるいは人殺しをしてしまうような人は、確かに「病気」だと思います。

そういう見た目では判断のつかない病気は、本人にとってはもちろん、家族や知人にとっても大きな悩み・・・。

人によっては「贅沢病」だ・・・というひと言ですましてしまうかも知れませんが、そう言ったところで何の解決にもならないでしょう。

私は当然、武田鉄矢さんを個人的には知りません。
テレビで金八先生だったコトはよく知っているし、町中で偶然、見かけたコトはありますが。

でも、決してエリートではないと思います。ある意味で人生の成功者かも知れないけれど。

先日、テレビのニュース番組で、妻や子を未成年の犯罪者に殺された若いダンナさんが出演しているのを見ました。ごらんになった方も多いと思います。

犯人が未成年だったために死刑にはならない・・・という判決に対して、実に整然と怒りを示していました。

その発言の中で私が思わずうなづいてしまったのは、こんな話です。

「犯人は家庭的に不遇だったということで求刑通り、死刑にはなりませんでした。しかし、家庭が不遇だとか、そんな理由があれば犯罪を犯しても減刑される・・・そんなことがあってもいいのでしょうか? 殺された私の妻は母子家庭に育ちました。家庭的には決して恵まれていたとは言えません。だけど頑張って生きてきたんです。私は裁判官に聞きたい。それじゃあ、不遇ではない家庭は、いったいどれくらいあるんですか? あの若い犯人は確かに社会復帰するまで立ち直る可能性はあるかも知れない。でも再び犯罪を犯す可能性だってある。もし、あの男が再び犯罪を犯したら・・・裁判官は責任がとれるのでしょうか?」

ここで彼が言っている「不遇でない家庭」は、そのまま「健常者」とも言い換えるコトができると思うんです。

どれだけの人が心身ともに健康で大きな悩みもなく暮らしているのでしょうか?

多かれ少なかれ、いろんな悩みを抱えながら頑張っているのではないでしょうか?

自慢じゃありませんが、私にも数え切れないほどの悩みがあります。
最も人の悩みの重さなど比較できるモノではありませんが・・・。

でも500万の借金を苦に自殺する人がいたとしたら・・・私など何度も死ななければないません(笑)。


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