THE THEATER OF DIGITAKE
オヤジの宝箱 3/5


■道楽オヤジの思い出

良郎の父は郵便局員だった。

毎日、村中を自転車で走り回っていた。
しかし、おそらくそれよりも長い距離をカメラ道具を抱えて走り回っていたことだろう。

当時、村には写真屋が一軒もなかった。まして、カメラを持っている家などあるはずもない。
だが、この村の家々には、出征した息子たちの写真や入学式、卒業式、結婚式の写真が必ずある。

それは、すべて良郎の父が撮影したものだ。
郵便局員として毎日、村中をまわっていた父は村人たちの様子に詳しく、やれ今度は誰の家で赤ん坊が生まれたといっては、カメラ道具一式を抱えて撮影にはせ参じた。

もちろん、フィルム代から現像代まで、すべて自腹。
村人からは大変感謝されていたものの「押入を改造した暗室では不充分」と暗室を増築までした家の台所事情は決して楽なものではなかった。

せめて撮影の実費くらいもらえばいいのにと家人に言われても

「それができるくらいなら町の写真屋に頼んでるだろ」

と、父は聞き入れなかった。

良郎が、そんな父の撮影助手として、いっしょに走り回らなければならなくなったのは、家に暗室ができてしばらくした頃だったから、小学校に入った当時の話。

遊び盛りの子供だった良郎にとって、父の道楽につきあって、重たい三脚を抱えて走るのは、とてもつらい思い出だった。

「兄ちゃんが手伝えばいい」

そう父に抗議したこともあった。
しかし、道楽者のうえに頑固者の父は、そんな子供の意見など受け付けようともしない。

「喜一がお国のために死んで、孝治はうちを継ぐために勉強せにゃならん。だから良郎、オマエが撮影を手伝うんだ」

三脚を倒したと言っては怒鳴られ、交換用のフィルムを取り出すのが遅いと言っては怒鳴られたことが、今は懐かしい思い出になってしまった。


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