THE THEATER OF DIGITAKE


オヤジの宝箱 作者による勝手な配役

良郎■杉浦直樹
妻■野川由美子

母■菅井きん
父■伊東四朗


■定年退職

「お父さん、長い間お疲れさまでした」

「ウム」

ダイニングキッチンのテーブルで、缶ビールを注いだ2つのグラスがカチッと音をたてた。
グラスを置いて、ふと壁掛け時計に目をやった妻は言った。

「それにしても、あの子たち帰りが遅いわね。今日はお父さんの大切な日だって言うのに」

いつもより、ちょっと御馳走に見える皿に箸を立てながら、夫の良郎は答えた。

「まぁいいさ。子供たちには子供たちの生活があるんだから」

「でも・・・」

良郎へソースを手渡す妻は不満そうだ。しかし、それはいかにも良郎らしいセリフであると理解はできた。

「あと5年はあると思ったのにね」

「ウム」

「でも考えようによっては、体が元気なうちに職をはなれて過ごせるっていうのも悪くないかもね」

「ウム」

良郎のささやかな退職祝いのテーブルは、すっかりいつもの食事のスタイルに戻っていた。
妻がひたすら話しかけ、良郎はそれにうなづく・・・結婚してから30年変わらぬスタイルだ。
ただし、今夜の妻の話題の中心が、夫、良郎のことに終始していた点だけがいつもとは、ちょっと違っていた。

「で、どうするの? これから」

「ウム」

良郎は箸を置いた。

「お茶」

妻は電気ポットからきゅうすにお湯をそそぐいで、お茶を入れると、さっきの質問をした時と同じ姿勢に戻って、良郎の顔をのぞき込んだ。
良郎は、ゆっくりとお茶をすすると、ようやく答えた。

「とりあえず・・・一度、田舎に行ってみようと思う。オヤジの墓参りにも、もう5年も行っていないし」

「そうね、前に家族で行ったのは、確か希実子が高校受験の前だったから・・・」

「この間、退職することを電話でオフクロに話したら、元気なようだけど、やっぱり多少気弱になっている感じで・・・。自分が元気なうちに手つかずだったオヤジを遺品を整理しておきたいって言うんだ」

「お父さんの遺品って、まだそのままだったんだ・・・。確かにお母さんひとりじゃ整理できないわね。・・・で、いつから行くの?」

「いや、明日からでも」

「ちょっと待って。明日から? 私、木曜日はカルチャースクールよ。作品展が近いから休むワケにもいかないし・・・」

「いや、いいんだ。ひとりで行ってくるよ。おまえにはおまえの生活があるだろうから」

そう言って、良郎はまたお茶をひとすすりした。


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