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Episode No.716(20001212):父親ゆずり

「子供ができると・・・
 女の人は、次は何時にミルクをやるとか、オシメを換えるとか・・・
 目先のコトに振り回されてしまうけれど・・・
 男の人は、いきなり将来は何にしようなんて考える。
 遠くを照らす父親と足下を照らす母親がいて、ちょうどいいバランスなのよ」

・・・と言ったのは、最近はと遊ぶコトに熱中しているうちのオフクロだが・・・
確かに、そういう一面はあるかも知れないと思う。

最も私の場合は現在のところ「自分が何者かになる」コトに必死で・・・
子供たちを将来どうしようとも考えてはいない。
うちのオヤジの場合、そういうもくろみはあったかも知れないが・・・みごとにハズレてるし。

さて、今から166年前・・・1834年の今日12月12日、大阪で赤ん坊が生まれた。

一家は父親の転勤で九州から大阪に出てきていた。
赤ん坊は5人兄弟の末っ子である。

その父親は当時としては学の高い男で、漢学に長けていたが・・・
学者としては生活を立てるコトは難しく、下級武士として暮らしていた。

当時、大阪は「天下の台所」・・・
父親は地元と大阪をつなぐための出先機関に勤務をしていたというワケだ。

読書一遍の学者を望んでやまなかった父親にとって、仕事はかなり辛いモノ。
まして身分制度は厳しく・・・
親どころか、子供同士でさえ、身分の違う者と遊ぶコトは許されなかった時代。

そんな父親の唯一の慰めは酒。
だが、あたりにも飲み過ぎたせいもあって・・・若くして亡くなってしまう。
末っ子が生まれて2年後のコトだった。

母親は5人の子供を抱えて九州に戻った。
遠くを照らす父親を失った淋しさをまぎらわすために・・・末っ子は幼い頃から酒びたり。
父親ゆずりの酒豪で10歳になる頃には朝酒までやっていたという。

父親の不遇の死で都落ちしてきた一家の兄弟は、近所の子供たちとも遊べず家にこもりがち・・・
そのため、兄弟ゲンカひとつしなかったらしい。

末っ子が父親から譲り受けていたのは酒飲みだけではない。
学問を始めると、たちまち頭角を現した。
負けず嫌いの末っ子は、近所の子供より成績が上でなければ納得できなかったのだ。

おまけに、反骨精神が旺盛な末っ子は・・・
神の罰を確かめるために、お稲荷さんのご神体をニセモノと交換してみたというエピソードも残っている。

その反骨精神は、やがて父親の無念をみこどにはらすコトになる。

1834=天保5年12月12日生まれ・・・命名、福沢諭吉


参考資料:「今日は何の日」PHP研究所=刊
     「日本史有名人その少年時代」歴史読本特別増刊号'88.5 新人物往来社=刊