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Episode No.488(000321):バッハの時代

今日、3月21日は西洋近代音楽の父、ヨハン・セバスチャン・バッハの誕生日だ。
今から315年前・・・バッハは1685年、ドイツのアイゼナッハで生を受けた。

亡くなったのは1750年、享年65歳。
芸術家にありがちな
短命・・・というほどのコトはない。
それどころか、音楽の父としてだけでなく、実生活でも大いなる父であったバッハには子供が20人。
のちに一族からは約200名いものぼる作曲家も誕生している。

そもそもバッハは、なぜ音楽の父・・・と呼ばれるようになったのか?
それは、音楽史上の大発明として今日も継承されている平均律の考案者でもあるからだ。

このオクターブを12の半音に当分する調律法は、19世紀後半には世界的に用いられるようになり・・・つまり、音楽の世界共通語を作ったのが、このバッハ・・・というワケ。

だが、バッハが平均律を広める以前にも、音楽はあった。
なんせバッハ自身が音楽家の家に生まれているのだから、職業として成り立つほど音楽は確立したモノになっていたはずだ。

9歳で両親を亡くしたバッハは、兄の家で音楽教育を受けたが、生活は決して恵まれたものではなかった。
食費を切りつめてオルガンの大家の演奏会に出かけるコトも多く・・・。
静まり返った会場で腹のムシが鳴くのをこらえるのは、さぞ辛かったコトだろう。

やがて教会のオルガン奏者となったバッハは、その才能をイッキに開花させていくが・・・。
その新しい様式の音楽は、教会の伝統をやぶるモノとして長老たちの避難の的となる。

どんな分野でも新しいモノが誕生するプロセスには、必ず古いモノとの対立や確立するまでの葛藤がある。
きしくもバッハの生きた時代・・・イギリスでは産業革命が起きていた。

音楽の父、バッハについても・・・産業革命についても・・・。
300年後の私たちにとっては歴史の変わり目のひとつとして確実に認識されている。
学校の歴史でも、そう習ったし・・・。

しかし、実際にその時代に生きていた人にとっては、どうだったろう?
はたして、とれくらいの人たちが「今が歴史の変わり目である」というコトに気づいていたのか?

現代は、情報革命の時・・・だと言われている。
確かに、デジタル機器をはじめとして、目にする物は変わってきてる。
でも、その本当の意味を理解している人・・・あるいはその新しい物によって本当に恩恵を受けている人は、どれくらいいるのだろうか?

バブルという言葉が流行ったおかげで、何でもかんでもバブルと切り捨てている人も中にはいるようだけれど。
時代は絶対に元へは戻らない。
知ってしまったコトは、知らなかったコトには・・・もう、できない。

バッハは新しい音楽のカタチに、いち早く気づいてしまった。
そんなコトに気がつかなければ、教会の長老たちにイジメられるコトもなかっただろうに・・・。

でも気がつかなければ・・・。
315年前、ドイツのアイゼナッハで生を受けたバッハという男がいたコトを
私たちは誰ひとり知らなかっただろう。


参考資料:「今日は何の日」PHP研究所=刊
     「世界歴史人物事典」木村尚三郎=監修 集英社=刊

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