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Episode No.449(000203):目の上のタンコブをとる方法

今から283年前・・・節分のこの日、将軍吉宗によって江戸南町奉行が決定した。

抜擢されたのは、後に"大岡裁き"と言われた名奉行、大岡忠相である。
さらに後、忠相はその業績を買われて、地方御用掛にもなって、関東一円の農政を任された。
この時、忠相は有能な庶民を代官に登用する・・・という異例の人事を行っている。

このように、世の中の役に立つ人事であればいいのだが。
政治の世界でも、また会社においても・・・。
人事というモノは本来の目的とはかけ離れた結果に落ち着くコトが少なくない。

適材適所とは名ばかりで、ポストにしがみつく者、またポストほしさに上司に媚びへつらう者が後を絶たない。

「目の上のタンコブ」という言葉があるが・・・。
このタンコブを落とすためには、実は2通りの方法が考えられる。

ひとつは、力ずくで引きずり下ろす方法。
これは相手の力が、それほどでもない場合には有効だが・・・。
実際には、それほどでもない相手が「目の上のタンコブ」になるはずもないから、いい方法とは言えない。

日本で初めてナニをしたと言われる初代内閣総理大臣、伊藤博文は、日本に内閣制を取り入れるために大変頭を悩ませた。

明治維新を迎えた直後の日本は、太政官制。
それをひっくり返して自らがヨーロッパで学んできた内閣制に変えるコトは、博文にとって明治維新以上の大事業だったかも知れない。

博文は、まず保守派が中心だった宮中を押さえるために、宮内大臣となった。
岩倉具視亡き後、自分が宮中を押さえてしまえば、後の仕事がやりやすい・・・と考えたからだ。

そこで目に見える改革として、宮中女官の服装を和服から洋服に変えさせた。

太政官制のトップに立つ三条実美は、次第に力をつけてくる博文に脅威を抱く。
これは先に取り込んでしまわないと後が面倒だ・・・そう考えた実美は、博文を太政官制の中心である右大臣に推奨するという妥協案を打ち出す。

しかし、博文はこれを断固拒絶・・・自分の変わりに、黒田清隆を勧めた。
これは天皇が黒田清隆のことを快く思っていないコトを知っての博文の戦術。

案の定、天皇が難色を示し、実美の案が空中分解したところで・・・ついに念願を内閣制の樹立に成功した。

「目の上のタンコブ」を落とす、もうひとつの方法・・・。
それは、タンコブに早いところ失敗してもらう・・・というコトだ。

言われた通りにハシゴを掲げて、後でハシゴをどっかに持って行っちゃうなんて・・・。
ちょっとイジワルだけど、ね。

だけど、こういう現実があるコトも事実。
・・・夢の実現のためには知っておいた方がいいかも、ね。


参考資料:「今日は何の日」PHP研究所=刊
     「人物篇・日本の歴史がわかる本」小和田哲夫=著 三笠書房=刊

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