Episode No.363(991025):情熱という言葉が似合う男 彼の名字は母方のモノだ。 両親が離婚したワケでもないのに母方の名前を名乗ったのには、後述のような確固たる理由がある。 彼の職業は、父の影響だ。 美術教師をしていた父の元、彼は物心つく頃から画家になることだけを考えていたという。 彼・・・パブロ・ピカソが誕生したのは、今からちょうど118年前の今日、1881年10月25日。 場所はスペイン南部にある地中海に面した、マラガという港町だ。 マドリッドにある名門、王立美術学校に学んだ彼は早くから、その天才ぶりを発揮。 わずか16歳で自分のスタジオを持つようになった。 以前にも紹介したが、彼の本名は、 パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・フアン・ネポムセーノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・シブリアーノ・センティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソ ・・・という。 とてつもなく長い名前で、本人ですら覚えきれなかったという伝説も残っている。 当初、彼は自分の作品に「P・ルイス」というサインをした。 しかし、ルイスという名前は、スペインではありふれた名前なので、やがて「P・ルイス・ピカソ」と書くようになった。 20歳の頃には、すでに「ピカソ」だけになっている。 美術教師をしていた父の影響で、彼が絵画の世界に身を投じるようになったことに間違いはない。 しかし、いわば画家くずれの父になしえなかった自分のスタジオを持つということができたあたりから、彼には失敗者である父と決別したいという思いがあった・・・とも言われている。 愛し合う親子ではあっても、父と息子はある意味で強いライバル関係にある場合が少なくない。 『巨人の星』の一徹と飛雄馬は極端としても、母子にはない感情が父子には脈々と流れている。 また、それがなければ家庭というサル山の中で、次の世代のリーダーは生まれて来ないだろう・・・とも思う。 そういう意味で、20歳で確実にイッパシの男となったピカソは、以後、モダンアートの父として20世紀を君臨する。 晩年、世間を最も驚かせたのは最後の妻との結婚・・・80歳の時だった。 凡人なら結婚どころか不倫もできない年齢だよね。
参考資料:「週刊アートギャラリー/ピカソ」デアゴスティーニ=刊 ほか
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