最近、本屋へ行くと新刊コーナーに高橋是清関係の本が多いように思う。
高橋是清と言えば、民間から役人になり、第20代内閣総理大臣にまでなった男。
大蔵大臣だけで7回もやっているのは、類のないことだろう。
知っての通り、2.26事件で殺害されてしまったが、その政策には前例にとらわれない、かなりユニークなものがあった。
こういう人が、今注目されるということは、まぎれもなく現在の大蔵大臣に対する国民の不満が大きくなっている証拠だろう。
ならば時代はさらにさかのぼるが、江戸時代中期にも「行革の名君」と言われる男がいた。
かつて、ケネディ大統領が日本で一番尊敬する人物として、その名を挙げたのが、上杉鷹山(ようざん)である。
財政が苦しかった米沢藩(山形県)の藩主となった鷹山は、大倹約令を発布。
50名いた女中を9名にするなどの目に見えた改革をする一方、藩主の衣食費をそれまでの1500両から200両に減らすなど、自らも先頭に立って倹約を進めた。
さらに藩内の産業を盛んにするために、新田開発や織物の技術指導にもつとめた。
ほかにも藩の学校を作ったり、飢饉に備えて2年分の備蓄をした。
この備蓄が、浅間山大爆発の時に、多くの領民を救うことになる。
一田舎藩主である鷹山に、なぜこれだけのことが実行できたのだろう?
もちろん、類い希なる才能と努力はあったに違いない。
しかし、一番の理由として考えられるのは、藩主となったのが、わずか19歳という若さだったから・・・に違いない。
権力を持てば持つほど、保身に向かうのが人の常。
まして年をとって登りつめた地位だったりすると、本人にとっては、そこがゴールになってしまいかねない。
仕事を真剣に考えれば、そこはスタートであるはずなのに。
鷹山の若さと実行力にケネディが敬意をはらったというのもうなづける話だ。
上杉鷹山が71歳で亡くなってから、今日3月11日で、ちょうど177年。
今なお国民が望み続けていることは同じだ。