理解と共鳴
Understanding and resonance
酒場から、ふと…
理解者のいる幸せ
…なんてfacebookに書き込みをしたら、
理解者=味方とは限らない。
むしろ怪しい。
…という予想外のコメントをもらった。
続けて…
気を許して警戒を怠ったら、痛い目に遭うよ。
…とも書かれていて、実に刺激的だった。
確かに…考えてみればそうだよな。
一番自分を理解している人間が、
実は自分を一番苦しめる相手であることは、
愛が実は苦しみの源であることと同じだ。
あるいは…
自分が一番の理解者だと思っていた相手が、
実はそうではなく、
自分の誉めて欲しいところだけを
闇雲に誉めてくれるだけの人だったり…もする。
本当の理解者は
長所ではなく、短所を理解しているはずだ。
ただ、いずれの場合にも、
それはその時の自分のコンディション次第で、
あえて苦しむことを楽しりでみたり…。
ちょっと誉められただけで、
普段以上の力を発揮できる時もある。
ようするに…
人は一律ではない。
むしろ、きわめて気まぐれ。
サッパリとした和食が食いたいこともあれば、
コッテリとして中華を無性に食いたい時もあるだろう。
その気まぐれのペースが
比較的合っている人…が気の合う人。
そして、中には、
自分が期待したものとは違う
スパイスをふってくれる人もいる。
だから…人生、日々更新。