でじたけの「人生日々更新」幸福を考える(3) 幸せは“視野合わせ”

Episode No.4645(20130710)[生活]Life

幸福を考える(3)
幸せは“視野合わせ”
One week to think about the joy of the life.

幸福が妥協だなんて思いたくはないが、
不幸が適応力のなさから生じていることは否めない。

ある時…
年相応の辛さ(不幸)に対して頑張っていないと、
年相応の幸せも感じることはできない
…という信条に至り、
今もそれは続いている。

ではいったい、
“年相応”であること…とは何か?

“年相応”…とは、言い方を換えれば、
“視野や視点”の位置を示しているのではないか。

5歳の子供の行動範囲は
おおよそ決まっていて…
その小さな世界の中に幸福も不幸もある。

その子にとっての幸福は、
近所に住む友達と近所の公園で遊ぶことであろうし、
その子にとっての不幸は、
帰り道に通らなければならない墓場のわきの道
…かもしれない。

あるいは両親に連れて行ってもらった
ディズニーランドは幸福の象徴かもしれないが…。
新橋に旨い焼き鳥屋があると聞いても
…興味すら感じないのは当たり前だ。

生まれたばかりの赤ん坊にとっての世界は、
寝かされた場所で決まってしまう。

寝返りさえ一人ではうてない時には、
おぼろげに見える天井だけが世界のすべて。
時折その天井の下に
ニコニコした親の顔が見えると、
退屈しのぎを越えて幸せな気分になる。

やがて、自分で寝返りをうてるようになると
見える世界も変わってくる。

天井だけでなく、
いろんなものが貼り付いた壁も見える。

はいはいするようになれば、
別の壁や家具があることもわかり、
隣にも部屋があることを知る。

こうして自ら移動できるようになると、
世界はどんどん広がってゆく。

同時に背丈が伸びて、
椅子の上、テーブルの上…が見えるようになる。

親から見れば、成長は嬉しいが、
危険なものへも子供の手が届くようになってくる。

これまでは絶対に届かなかった
テーブルの上のガラス容器をひっかけて落とし、
怪我をする…という新しい不幸にも見舞われる。

今回、このシリーズを思い立った
一番の理由は、今日のタイトルである、
幸せは“視野合わせ”だということが、
これまでの経験を説明するのに
ピタリとはまったからだ。

続いて“視野を合わせる”方法について
考察を進めてみたいと思う。

【明日につづく】

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