見たいものだけを見て、
聞きたい話だけを聞く。
見たくないようなものや、
聞きたくないような話は、
間違っているものとして片付けようとする。
自分の正しさに
100%の自信は持てないけれど…
間違っていると思うものより、
少なくとも自分の方がマシだと考えている。
そうとでも思わなきゃ、
とても自分を支えていられない…かもしれない。
でも、それで支えられているうちは、
実はたいした問題は抱えちゃいない。
処理できない気持ちに気づいてしまうと
苛立ちは募るばかり。
けれど、そもそも
自分を自分で支えていると考えたり、
すべて自分の中で処理できる。
…そんな風に考えていること自体が驕り。
驕る気持ちはガラスのようにもろく、
ちょっとした力の加減で、
いとも簡単に砕け散ってしまう。
自分が他人に支えられていることを…
口先だけでなく本気で理解できていないと、
驕りの破片で怪我をする。
ひと度、傷ついた気分になると…
どうすれば傷つかずに済んだか
…ということを考える余裕はなく、
痛みを癒すことしか考えられなくなる。
自分を可愛そうだと思ってる人は、
本当に可愛そうな人で…
自分を幸せだと思っている人は、
本当に幸せな人。
たとえそれが、
自分を可愛そうだと思っている大金持ちと、
自分を幸せだと思っている貧乏人だとしても、ね。