よほど好きな映画でない限り、
まず繰り返して観ようなどとは思わないし、
古い映画を観るより、新しい映画を観たくなるもの。
だけど…好きな曲なら、
何度でも繰り返し聴けるのは何故だ?
曲なら聴きながら何かができる
…ということは大きいな。
歩きながらでも、
仕事をしながらでも聴けるもん、ね。
でも…曲だって、
新しい曲は毎日生まれているし、
ネットの時代の今なら、
映画のソフト以上に、
手軽に新しい曲を入手できるはずなのに。
…それでも同じ曲ばっかり聴いている。
こだわり…なんてものとは、ちょっと違う
何かがあるような感じがする。
人間の機能的な問題かもね。
耳で聞く時には、
積極的に聞くことはあっても、
基本的には受動態でいられる。
だけど、目で見る時には、
ある程度は積極的に考え、
理解しながら見ないと
頭には入ってこない。
つまり、見るためには能動態でなけりゃならない。
英語もできないのに洋楽は聴けても、
字幕のない映画は観ようとも思わないでしょ。
だから単純に言って、
聞くと見るとじゃあ、
理解の仕方とそれに伴う疲れ方が違うんだよ。
そのことを体感的に知ってるから…
多くの人は、どうせ体力を使うなら、
新しいものを観て使った方が得だと、
そんな風に考えちゃうんじゃないかな?!
覚悟をもってするようなことは、
できるだけしたくない…のが一般的な考え方。
良くも悪くも、その前提に立って考えないと、
何かを人に、うまく伝えることなど
できないように思えてきた。
ただ中味がいいだけでは…
美術館にそうそう人は集まらないだろうし、ね。