意外と自然が残されているうちのまわりでは
春を喜ぶ鳥たちのさえずりも耳に響いてくる。
一方の耳に聞こえるのは車の往来。
バイク乗りが偉そうに言うことではないけれど、
人工的な音は何とも耳障りなもの。
自分の屁はさほど臭くは感じないが、
他人の屁は気になるのと同じ心境。
…人工的な音は情緒に欠ける。
最も…
昔聞こえた工場のサイレンや
豆腐屋のラッパには情緒があった。
私が幼少時代には…
親の仕事の関係で
家のまわり中、ドラム缶に囲まれていたので、
空ドラの中の空気が
朝暖まってきた時と、
夕方冷えて来た時に、
フタを押し上げたりへこませたりする時に鳴る
バゥンという音が妙に懐かしかったりする。
音に限らず
馴染みのあるものなら許せて、
馴染みのないものだと違和感、
やがては不快感を感じるものなのか。
そういう感情が紛争のタネになる。
いや、しかし
街の騒音は何度聞いても不快だし、
小鳥のさえずりは
滅多に耳にしなくても心地いいもの。
音そのものというより、
音から連想されるものに
刺激を受けているのかもしれない。
人間は、
まだまた自然に学ぶべきものがあるな。