目の前にある物を
そのまま描いてごらん
・・・と言っても、
三次元にあるものを
二次元に描き起こすためには
・・・それなりのテクニックがいる。
そもそも・・・
円というカタチは誰もが知ってても、
正円は、
フリーハンドで描けるものではない。
しかし・・・
ただのコップを描くだけでも、
人によって多種多様になってしまうのは、
やはり、その人が見ている部分、
あるいは、見ていない部分が
・・・違うからじゃないかな。
久々に覗いた美術館では・・・
たくさんの「見解」を観た。
この人には・・・
目の前の女の人は、こう見えたんだ
・・・とか。
目の前に広がる景色のうち、
この写真家は、この部分に着目したんだ
・・・とか、ね。
やがて・・・
その理由が知りたくなる。
そこには
作家の生い立ちが関係していたりする。
結局・・・
多くの作家が作品を通して見せたかったり、
嫌でも見えてしまうのは、
そうして生きてきた「その時の自分の姿」
・・・なんだろうな、きっと。
すべての「表現」は
自分が「生きた証」だ。
そして芸術家以外の人たちの表現もまた、
本能に根ざした
・・・自己顕示欲だったり、
・・・自己防衛だったり、することが多い。
「生きた証」と胸をはって言える「表現」には、
何か別なものを隠すための手段ではなく・・・
すべてをさらけ出す
・・・勇気が必要なくちゃいけない。