THE THEATER OF DIGITAKE |
■前話の最終ページ |
■宮田浩一郎の段取り 40代も後半に入った宮田浩一郎にとって新しい仕事を覚えるというのは、それなりに苦労がいることだ。 まして、20年以上も同じ職場環境にいればなおのこと・・・。 取扱商品の変化こそあったものの、仕事の流れは変わらず、これまで仕事のうえで一番の大きな変化といえば本社ビルが移転したくらいのものだった。 宮田が高校に入る頃には、これからはもっと化成品の需要が高まるという風潮があった。 確かに、その後も化成品は伸びを続けたが、メーカーが人材を集めるピークは過ぎていて、宮田が大学を卒業する頃になるとメーカーより流通分野に人気が移っていた。 化学専攻だった宮田が、運良く大手商社に入ることができたのは、当時、会社が遅ればせながら化成品を扱い出したからだ。 入社後、資材部資材調達課に配属されたて、しばらくは化成品担当として化学の知識が活かすことができたが、さすがに業界では後発だったため業績は思うように上がらず、やがて撤退。 会社では何の役にも立たない化学の知識を持つ宮田は、入社後5年〜10年目くらいは、いつどこの部署に異動を命ぜられても仕方がないと思っていた。 だが、好きだった化学の実験で会得した段取りの良さが認められ、その後も資材部に残留。 資材調達課長となって現在に至っている。 しかし、最近・・・。 本当は自分を使ってくれる他の部署がこの会社になかっただけなのかも知れない・・・と思うことがある。 21世紀に向けた会社の新体制が決定し、とうとう資材調達課は、まるごとアウトソーシングされることになった。 自分もいっしょに関連会社へ異動する・・・それは、天下りというよりは島流しに近い。 ここで反旗をひるがえしたところで、もはやどうなるものでもない。 気づいたのが遅すぎた・・・。 かと言って、明確に自分が何をしたいというビジョンもないんだけれど。 とりあえずは、住宅ローンと受験生を抱えた一家の主として、あと20年近くは稼がなければなるまい。 ・・・でも、少しくらいのアバンチュールは、あっていいかも知れない。 残りの現役人生を頑張りぬくために・・・! これって言い訳? |
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