THE THEATER OF DIGITAKE
初めての不旅行12 6/11


■母親の本音

待合室に戻ると患者は誰もいなかった。どうやら今日は良樹が最後だったらしい。すでにドアの内側のカーテンは閉ざされている。おまけに天井の蛍光灯も消されていて、受付にある手元のスタンド明かりの下でクミの母親が治療費の計算をしていた。

「アラ、ごめんなさいねぇ。節電してんのよ。・・・歯医者も楽じゃないのよぅホント、おほほほ」

そうは言って、また電卓をはじきはじめる。蛍光灯をつけようとする気配はない。

「あ! そうそう、保険証まだだっわね、持ってきた?」

「あります」

良樹から受け取った保険証をしげしげと見て、クミの母親は言った。

「ずい分、いいところへお勤めねぇ・・・おタクのおとうさん」

「そうスかぁ・・・仕事は楽じゃなさそうだけど」

「そりぁあアンタ。楽な仕事なんてないわよ。・・・でも最近は大企業でもね、大変らしいから。レストアとか」

それを言うならリストラだろう・・・と突っ込みたかったが、そうもいかない。幸い暗い待合室の中で良樹の薄笑いがクミの母親に見えることはなかった。

「えーと、じゃーあ、この間の分と合わせて1,830円ね」

暗がりの中でサイフの中が見えづらかった良樹はスタンドにやや近づいてサイフを取り出す。

「・・・おタクは高校、普通科受けるの?」

 目の前に迫ったクミの母親がささやくように尋ねた。

「ええ、まぁ」

「普通科ねぇ・・・最もその後は大学行くんでしょうけど・・・。これからは手に職つけないと生きていけないわよぉ。そりゃあ医者だってちょっと何かしたら、すぐ損害賠償問題になるご時勢だけど、まぁ歯医者なら人を殺しちゃうことは、まずないし・・・ね。ほほほ」

「クミさんは美容師になるんですよね? 専門学校行って」

「まぁ本人はそう言いはってるけどねぇ・・・。モノになるのかしらねぇ」

「今スゴイじゃないですか美容師・・・お城みたいな店建てる人もいるし」

「だから心配してんのよ。ようするにブームでしょ?! ボーリング場みたいに」

中学3年の良樹はボーリングがブームになった時代があることなど、まったく知らない。母親は、ため息まじりにつぶやく。

「美容師なんかヤメて、歯科衛生士になって手伝ってくれればねぇ・・・」

確かに今いるアシスタントより、クミの方がずっと機敏だろうと良樹は思った。しかし、何よりもクミの夢を応援したい・・・という気持ちが強い。

「でも成功すれば・・・」

「そりゃ成功すれば何だってイイに決まってるわよ」

奥の部屋から階段を上がる軽快な足音が聞こえてきた。

「あら? クミかしら」

 母親のそんな言葉を聞く前に良樹の心臓は、すでに高鳴りはじめていた。

「クミ、戻ったみたいだけど呼ぼうか?」

良樹は少し後ずさりして答えた。

「いえ、いいです。今日は。勉強も忙しそうだし・・・」

「あら、そぉお」

保険証と診察券を受け取った良樹はオモテへ出た。風がつめたい。止めてあった自転車にまたがって50mばかり進むと、またあの位置でふと足を止めた。

振り返ると今出たクミの家の2階のひと部屋に明かりがついているのが見える。クミの部屋に違いない。良樹は自分の唇をそっとなでてみる。・・・今夜も唇はシビレていた。


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