でじたけ流 教育論「恥じらいとプライド 」
 
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20160724

でじたけ流 教育論833回「恥じらいとプライド」

でじたけ流教育論 digitake.com


先週、年頃の子供たちが
アッケラカンと
彼氏、彼女とのことを親に話す
…ということを書いたら

自分たちの頃のことを考えると信じられない

…というコメントや

自分の子もそうだ

…というコメントをもらった。

少なくとも昭和世代には、抵抗感があるようだ。

一見、親に何でも話すのは、
自然で素晴らしいことのように
受け取られる向きもあるが、
その違和感について、
いろいろ考えを巡らせていくと

結局、恥じらいがないのだ

…という結論に至った。

恥じらい、恥…を感じるには
プライドがなければならない。

子供のままでいられたり、
プライド抜きでも生きていける
…というのは
平和な証拠に違いないけれど、
平和しか知らないで社会に出ると
こっぴどい目にも遭う。

プライドとは、
いざという時の頑張りどころとなる
主軸のようなもので、
他人にかざすものじゃなく、
自分を支えるためのもの。

何でも簡単に口にしてしまうのは、
自分の主軸を人に預けていること。

何でも聞いてもらえるのは
確かに楽だけど…

楽をしてたら、
自分のやりたいことはできないな。

やっぱり…人生、日々更新。

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