20011209
でじたけ流 教育論第78回 親でなければきないこと

7歳の長男、4歳の長女、そして2歳になった次男・・・
力で言えば、もちろん長男がダントツだが・・・
実は、3人の中で最も「真剣に」泣き叫ぶのは・・・長男だ。

こと、母親の姿が見えなくなって心細くなった時。

長女や次男も最終的には泣いて探すことになるのだが・・・
口をヘの字に曲げて、必死に耐えている時間は意外と長い。

一方、長男が同じような状況に陥ると・・・いきなり半狂乱。
口はヘの字を通り越して、いきなり大きく開くことになる。

ただし、長男の場合には・・・
年齢が高い分、一人でも充分に遊べるので
母親を捜す機会は長女や次男に比べれば少ない。

この違いは、どこから来るのか・・・?

生まれながらに持つ性格の問題・・・それもあるだろう。
しかし、3人いる兄妹の中でも
長男だけが唯一「一人っ子」だった経験を持つことに
大きな要因があると思う。

第一子が誕生した時・・・
家庭の常識はひっくり返り、いきなり子供中心の生活になる。

周囲の大人たちはみな
本能のおもむくままに暴れ回る王子様、あるい王女様のしもべとなってしまう。

こと、赤ん坊を扱うことに不慣れな両親は・・・
いつもヒヤヒヤしながら子供を見守る役に徹する。
とても子供を放っておける余裕は経験的にも精神的にもない。

別な子に気をとられる必要もないので、
一子集中となり、子供が困っていれば助けの手をすぐ差し出してしまうし・・・
嫌がるものがあれば、すぐさまその排除に努める。

それが愛情には違いないが・・・
同時に一人で耐えること、自分で克服することを覚えるチャンスから
子供を遠ざけてしまうことにもなりなねない。

二子、三子の場合には・・・
どの程度のことをしても平気か、親もちゃんとわかっているし・・・
第一、上にまだ手のかかる子供がいたら、
たとえ泣き叫んでいたとしても、泣く程度のことですっ飛んで行ったりはできない。

だから・・・
子供自身も適当に泣いた程度で親が来てくれないことは、ちゃんと学習している。
たいていの場合、母親は手が足りなくて仕方なく、そうなっていくものだが
おかげで末っ子の才能が伸びたりする。

オリンピックのメダリストには第一子が滅多にいない、という話は
前にも話したよね。

そこで・・・
第一子を強く育てるポイントは、やはり父親にある。

子供の顔が見たくて早めに帰宅するようになった父親も・・・
子供を可愛がるだけとはいかない。

父親には父親としての仕事があるのだ。

母親と同じカタチを愛情を注いでいるだけでは・・・父親とは言えない。
時には育児に疲れた母親の手がわりとなる必要もあるだろう。
しかし・・・母親をカバーするだけが父親の仕事であってはならない。

母親なら泣けば言うことをきいてくれるが
父親の場合、そうはいかない・・・というところを見せつける必要があるのだ。

最初に話した長男が泣き叫ぶという話は・・・
実はカミさんから聞いたもの。
私自身は、そういう場面で長男が泣くところを見たことはない。

カミさんに言わせると
長男は私がいる時といない時とでは態度が違うという。

かと言って、私にウソをついているというわけでもなく・・・
私といる時には私とでないとできない遊びをする。

つまり・・・
母親は甘える対象ではあるが
本当は甘えなくてもできることは本当はたくさんある。

ただ、甘えられる人がいると、つい甘えてしまうのが人間の弱いところ。

父親には別な甘え方をしている、とも言えるが・・・
それは、父親が単なる母親の手がわりではない証拠。

とくに男の子に対して
やればできる、ということを教えるのは・・・父親の仕事。

母親なら簡単に手を貸してしまう問題にも絶対に手は貸さない。
むしろ、次から次へと無理難題を押しつける。

でも・・・克服することを覚えるためには、それがないとね。
嫌われるのを避けて、子供の言いなりになっている父親は何とも情けない。

日常に追われている母親には、そこまで付き合う余裕もないだろう。
手を貸さないことには生活が先に進まない、
いつまでも食器が片づかない、という場面も多い。

だからこそ・・・
母親にできないことを・・・父親が教えるべきなのだ。

母親を手伝ってるだけじゃあ・・・母親には勝っこないし、さ。
たまに母親の真似事をして「こんなの簡単」なんて口にしようものなら
24時間年中無休でやってる人にド突かれるのがオチだ。

でじたけ流 教育論

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