でじたけ流 教育論「笑うニッポン人 」
 
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20140907

でじたけ流 教育論735回「笑うニッポン人」

でじたけ流教育論 digitake.com


例によって、いささか偏見と言えなくもないが、
日本人ほど不幸を笑う国民はいないと思う。

他人の不幸を笑う…というのなら、
不謹慎きわまりないのだけれど、
日本人は自分の不幸を笑うから不思議だ。

このところ立て続けに、
未曾有の天災に見舞われている日本だが、
被災地のニュースでは、
木っ端微塵となった自宅や、
どうにも手の着けようのない瓦礫を前に、
インタビューされた被災者が
笑いまじりに話す姿を、よく見かけるよね。

これが他国のニュースであれば、
おそらく被災者は
カメラの前であろうとおかまいなく、
地べたを叩いて号泣しているに違いない。

何故、日本人は
自分の不幸を笑えるのか…?

それは諦めの表情とも違う。
その証拠に、
復興に向けて振るうスコップの力は
一向に緩んでいない。

むしろ、笑うことによって、
その力が一層増しているようにも思える。

自分のことを最優先に考えれば、
悲しみや苦しみを表現するだけでいい。
しかし、
そうした悲しみや苦しみの中にいるのは、
決して自分だけではない…。
むしろ、自分はマシな方かもしれない。

そういう思いが、
自分の不幸を笑っているのではないか…?

つまりそれは、
狭い日本という国で、
住めそうな場所に肩寄せ合って暮らしてきた
日本人のDNAに刻み込まれた生活習慣
…と言っていい。

5年ほど前に紹介した話だが…。

1877年…というから、
西郷隆盛が挙兵し、西南戦争始まった明治10年のこと。

東京大学に招聘されたアメリカの科学者、
E・S・モース博士が初めて横浜に上陸した時…。

人力車に乗って田んぼのあぜ道を走っていると、
人力車同士が接触事故を起こした。

欧米で同じようなことがあれば、
すぐさま殴り合いの喧嘩になる。

だが、モース博士を驚かせたのは、
喧嘩…ではなく、
接触した車夫たちが、お互いの顔を見合わせ、
怒るどころか苦笑して、先を急いだ姿だったという。

また、江戸の“粋”な姿を伝えるエピソードとして、
足を踏まれた時、怒るのではなく、
足を出していたことを踏んだ相手に謝る
…というのがある。

自己を主張することが常に正しいとは限らない。

それは、きわめて素直なことではあるが、
本来の目的とはかけ離れていってしまう…。

本来の目的とは…その場所で生きるということだ。

その場所で
気持ち良く生きていくためにどうすればいいか。
…それが本来、とるべき行動なはず。

損だ、得だという話ではなく…
我慢とか、忍耐などでもなく、
笑みをうかべるように反射的に行うことができる。
そうした、その場所場所の価値観を“粋”と言う。

教育が生きていくために、
どう身を守るか…を教えることだとすれば、
“粋”と言う価値観こそ伝えるべきだろう。

そのためには、まず、
見本となる大人が“粋”でないとな。

生きていくために必要なのは…得より、徳。
徳を表す姿こそ“粋”じゃないか。

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