でじたけ流 教育論「受け継がれる魂」
 
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20131222

でじたけ流 教育論698

でじたけ流教育論 digitake.com


先週、亡き義父の三回忌の法要があった。
師走に入って半月が経つというのに、
その日は幸いにして暖かな日差しがあった。

和尚のありがたいお話に続いて、お経が始まる。
やがて焼香の順番が巡ってくる。

焼香に進む中2の次男が、
あまりの緊張で身体が硬くなり、
妙な歩き方、
首だけ平行移動させたような
妙なおじきの仕方になった挙げ句、
焼香をするのに必死で
拝むのを忘れている姿を見て…
必死で笑いをこらえる兄姉たち。

順番通り、大往生で亡くなった方の法事は、
かくもおおらかである。

祈りを込めた
真新しい塔婆を手に、霊園を登っていく。

子供たちと塔婆書かれた文字を見て、
何だかカッコいい…という話になる。

どうしたら、こんな字が書けるんだ?
…というのは、二十歳になった長男。

これを手本に見ながらなら書ける。
…という、高2の長女は、こう付け加えた。

字じゃなくて、絵だと考えて
カタチを真似ればいいんだから。

…その発想は、親父のまるで同じである。

いかなる特技も最初は模写。
誰かの真似をすることが
技術を磨く第一歩に違いない。

だから、きっと
歌手なら自分が憧れた歌手の歌真似が、
野球選手なら憧れの選手の形態模写が上手いはず。

はたして娘は父親に
憧れを抱くことはないだろうし、
同じ条件を与えても、
長男、次男は絵を描くことは苦手だから、
そもそも
持って生まれたものの影響は否めないけれど、
苦手なものというのは、たいてい
食わず嫌いの思い込みに等しい。

先入観が苦手なもの嫌いなものを
育ててしまうのであって…
素直に見れば、
何のことはないことがほとんど。

法事のひと幕に見る成長した子供たちの姿を、
誰よりも亡き義父が喜んでいてくれるに違いない。

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