でじたけ流 教育論「拘束習慣」
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20130609

でじたけ流 教育論670

でじたけ流教育論 digitake.com


娘が私に似ていると思えるところは多々あるが、
中でも最近感じるのが…忙しぶり方。

何かに熱中すると、
それ以外のものは、まったくやらない。

そのくせ、
ほかのこともやりたいようなことは口にする。

しかしそれは、
それができないくらい何かに熱中している自分を
確認するのが嬉しいだけであって、
何も本気で別のことをやろうとはしていない。

同時に、
何かに熱中している自分を喜ぶことによって、
ブレを修正したりする。

そういう、忙しぶり方が、非常に似ている。

中学時代から、高校2年に至る現在まで、
娘が熱中しているのは部活のバドミントン。

部活優先の生活スタイルとなってから、
家族みんなで出かける機会は極端に減った。

ちょうど私が娘の年頃には、
自主制作映画づくりに明け暮れていた。

映画作りは文化部のくせに、結構、体育会系。

日々の活動はシナリオ制作という地味なものだが、
ロケハンでは歩きまわらなければならないし、
撮影ともなれば、
昼夜どころかメシの時間より、
太陽の傾きを優先に考える。

無論、旅行になんて行くのも面倒だと考えていた。

熱中する力は確かにあったと思うが、
生活のバランスを欠くくらいの熱中は、
むしろ拘束と言った方がいいくらいで…
それは、かなりストイックな悦びである。

最も若い頃は、
何かにつけて迷いも多いから、
翻弄されて過ごすより、
拘束されて過ごすくらいの方が、
かえって道をはずさずに済むのかもしれない。

バランスの大切さがわかるのは、
極端に何かを追求したからであって…
何もかも、なめた程度では
本当の味がわかるはずもない。

ナメてる…っていうのは、
そういうことを言うんだろう。

そこで、
生活をナメない…ためには、
何かに自分を拘束させることが必要
…なのかもしれない、ね。

まず、そういう習慣は、
若い時につけておかないと、
大人になって突然できるものではないし…、
大人になってから、
その必要性に気づいてやろうとすると、
かなりキツイ思いをすることになろう。

わかっちゃいるけど、やるのか億劫。
…そんな大人は、つまりズルい大人。

仕事や時間。
理想や真実。
すべて拘束といえば拘束。

そうした拘束に対する
適応力が身についていないと
…つまり生きづらくなっちゃうよな。

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