中3の娘が修学旅行から帰ってきた。
行き先は例によって京都・奈良。
あいにくの空模様だったが、
修学旅行といえば夜の記憶しかない自分からみれば、
天気など、どうでもいいんじゃないかと思った。
娘にとっても天気が悪かったことは、
さほど苦にならなかったようだ。
…というのも、今の修学旅行は
現地でグルーブに別れて
タクシーで行きたい場所をまわるんだって。
おまけに土産はすべて宅配便で送るルール。
先生たち、楽してるな〜。
最も、こういうルールは
先人たちの悪行があって作られたものとも思う。
実際、我々の頃といえば土産に買った酒類は、
帰るまでにみんな空っぽになってたから、ね。
修学旅行で娘が一番楽しかったのは
能舞台を見たことだと言う。
そんなの見たことなかったな。
動きやセリフまわしが、何とも可笑しいという
パロディ的な可笑しさもあったようだけれど…
その反面、感情表現の解説内容をよく覚えていて
懸命に説明してくれた。
ダテに私と一緒に「日曜美術館」を見ていない。
娘に貸したデジカメのデータをPCに取り込むと、
カメラの使い方こそ不慣れでピンぼけは多いが、
被写体を捉えるアングルが
何となく自分に似ていて、これもちょっと驚いた。
…というわけで今回のタイトル写真は娘が撮ったもの。
やっぱり娘は父親に似るものなのか。
似てる、似てないという話になると、
つい自分を中心に考えがちだけれど…
そもそも自分だって祖先の誰かに似てるんだろうな。
私の場合には見た目は父親そっくりだから
探すまでもないんだけれど、
祖先の中には性格的にもっと似た人がいたに違いない。
娘が父親に、息子が母親に似るとすれば…
私が色濃く受け継いだ同性の祖先は、
まず大工だった母方の祖父ということになる。
その祖父が受け継いだであろう祖先は、
祖父の母の父親のはずだが…
そのあたりに来るともう名前さえわからない。
一番わかっているようで、
最もよくわからないのが自分だけれど…
わからないことは、いくら考えたってわからない。
本気でわかろうと思ったら
祖先の情報を集めてみるのも面白いかもな。
古い都を訪ねるた時のように、
そこから見えてくる未来があるかもしれない。