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20111030

でじたけ流 教育論586

でじたけ流教育論 digitake.com


今週も娘の話から。

このところ娘との接点は結構多い。

時間さえあれば、
毎日でもスポーツクラブに寄って帰りたいのだが、
少なくとも毎週、火曜と水曜の夜は
スポーツクラブを出たところで塾帰りの娘と合流し、
乗せて帰る…というのが日常となっている。

車に乗った瞬間に娘が機関銃の如く話し出す。
私も語り出したら止まらない方だが、
その私似で、しかも女だから、さらにグレードアップ。

逆に気分が悪い時には一切口を開かないとこもに似ている。

娘の話は、たいてい愚痴だ。
先生とか、友達の愚痴が多い。

ことに女同士のネチネチした付き合いが
面倒でたまらない様子。
さすが、上下の男に挟まれた三人兄妹の真ん中だ。

弟の次男をして、
「俺は三男。お姉ちゃんが次男」
…と言わしめるだけのことはある。

兄妹に異性がいるかどうかは、
その後の友達づきあいにも大きく影響があるように思う。

異性に親友と呼べる仲間が持てるかどうかは、
異性であることが抵抗感にならない付き合いができることが、
まず前提。

異性の特長を知らないと…
その思考が男(あるいは女)だからなのか、
それとも、その人の個性なのかが理解できない。

ある程度、理解できれば割り切れるものが、
割り切れないでいたら、
それ以上、深い付き合いはできないだろう。

理解を示す…というのは見方を変えれば、相手を許すことだ。

子供が何か失敗をしたら…
子供だから仕方がない、ということがよくあるだろ。

同じように、男だから、女だから、仕方ない
…こともあるよな。

理解…と言ってしまうと、何もかもわかっているようだが、
決してそうではなく、
わからないことが、よくわかった…だけ。

こと、性という立場の違いは、
違いがあることを認めるか認めないかで
大きく理解の度合い…
許せる許容範囲が変わってくるように思う。

男(女)はこういうもの…という漠然とした定義が、
映画やドラマで見て、そう感じているのか、
身近にいる生身の人間を見て思うのかには
大きな隔たりがあって当然だ。

つまり兄妹というのは、
同年代の異性の見本であり…
同じように両親は、
子供にとって大人の見本であることを忘れちゃいけない。

やがて、うちの子供たちも
塾帰りの自分の子供を迎えに行く時が来るだろう。

自分がやってもらったことは
…まず、やってやろうと思うよな。

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