20010617
でじたけ流 教育論第53回 しさをえられるか?

夜、うちに戻って玄関を開けると・・・
そこにある靴の数の多さに「家族が増えたもんだ」と、つくづく思う
・・・という話は前にもしたけど

最近、感じるのは・・・
冷蔵庫を開けると、いつも牛乳がなくなっていたり
トイレに入る度に、トイレットペーパーを交換しているような気がして
「みんな大きくなってきたなぁ」・・・と、つくづく思う。

7歳と4歳の上の2人は、多少はフンベツもついてきたし・・・
長男も次男を連れてシャワーくらいは入れるようになったから
多少はカミさんも楽になってきたかと思えば・・・むしろ、その逆らしい。

少し前までは、みんなまとめて遊べたから、面倒を見るのも一カ所で済んだけど・・・
今は、長男は公園で友達と遊びたがり
長女は上にいる犬と遊びたがり
次男はビデオを見たがったりして・・・やることが、てんでバラバラ。
個々のペースに合わせるのが、大人ひとりでは、かなり困難になってきているようだ。

私も家にいる時は、極力、子供たちと一緒に何かをするようにはしているつもり。
でも、結局のところは・・・私がやりたいことを子供たちにつき合わせてしまうんだけれど。

ただ、それでも子供たちにとってみれば
平日とは違う刺激があって、楽しいことは楽しいようだ。

最も子連れで外出すると・・・
疲れ果てて「もう帰ろう」と先に言うのは子供たちの方だけどね。

家で遊ぶ時には・・・絵を描くことが多いかな。

テレビに出てる人の顔を描いて見せたり、漫画のキャラクターを描いたり・・・
キャラクターと言っても、私が描けるのは
タイガーマスクとか、ルパン三世とか・・・昔のヤツばっかりだけど。

親が絵を描くのが得意だからと言って・・・子供もそうなるとは限らない。
絵に限らず、字だって歌だって同じだと思うんだけれど・・・

もちろん、そういうモノが身近にある環境・・・という影響は大きいだろう。
しかし、いくら環境があったって、こういうことは技術だからね
本人が練習をしない限り、決して得意と言えるほど、うまくはならないと思う。

おそらく肝心なのは・・・より幼い頃からやる、ということなんだろうね。

手を叩く・・・なんてことは、誰でもできることなのに
赤ん坊がやると、それだけでまわりは大喜びしてホメる。
それに気を良くして、手を叩くことを覚えたり、おじぎをすることを覚えたり・・・

きっと絵を描くことだって同じで・・・
小さな子が一生懸命描いた絵なら、多少、手足のバランスが悪くたってホメられる。
ホメられれば嬉しいから、また描く。
そうして何度も何度も描いているうちに、うまくなっていく。
言葉を覚える時だって、そうしてきたはずだよね。

それが、ある程度の年齢になって、いきなりやっても・・・
今度はうまくいかないコトばかりが目についてしまって
やがてやるのがイヤになる。
やらないから・・・いつまでたっても、うまくはならない。

何か新しいことに挑戦するのは、
いくつになっても決して「遅い」ということはないなんて、よく言うけど
同じように、
いくつではじめても決して「早すぎる」ということはないんじゃないかなぁ。

うたいびとはね

長男が「うたいびとはね」に出したファンレターの絵。このところ長男は手紙を書くと相手が喜んでくれることを知り、はりきって書きまくっている。

もちろん、詰め込み過ぎはよくないだろう。
詰め込み教育の一番悪いところは・・・親はできもしないクセに子供にやれ、という点だ。

親も一緒になって楽しめるのなら・・・
それは教育というより、むしろコミュニケーション。

それに・・・
本当の教育っていうのはコミュニケーションの中から生まれるモンだとも思うしね。

こういう話をすると・・・
「そりゃあ、おまえは絵が描けるからいいよ」なんていう人もいるけど
「じゃあ、子供と一緒に練習すれば」って言いたくなっちゃう。
絵は描けないより描けた方がトク。
別にできることは絵を描くことだけでもないだろうし・・・。

教えようなんて思うからダメなんじゃないかな?
一緒に楽しめば、いいのにさ。

でじたけ流 教育論

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