20100530
でじたけ流 教育論第513回

いつも心に悔しさを-でじたけ digitake.com


昨日の土曜日…
少し前の夏のような暑さからは一転、
風は冷たく、
どんよりとした空は今にも泣き出しそうだったが、
自宅の目の前にある小学校からは
元気な子供たちの声が響いていた。

小5の次男坊の運動会。

例によって、
校庭と自宅のPCの前を
行ったり来たりしながら観戦してた。

小学生は1人だけになったので、
かつてのように次から次へと追われることもなく、
のんびりしたもの。

校庭のブラブラしていると
新しい遊具が目に入った。

しかし今思えば、
公園や学校の遊具というやつは、
ちょっとバランスを崩したら大怪我しそうな、
けっこう危険なものが多いね。

故に楽しい…んだけど、
大人になってからコレが仕事に役立つのは
消防士か自衛官くらいじゃないか?

そもそも運動会というか体育教育自体、
もとは軍隊の訓練だったと聞く。

一時は中止されたこともあった騎馬戦も
現在は復活してる。
その方が、運動会らしいけど、ね。

三島由紀夫じゃないけど…
子供の頃、運動が苦手というのは、
勉強ができない以上に
コンプレックスとして残るんだよな。

学校に入ると、いろんな勉強をさせられる。

得意分野が見つかれば幸いだが、
たいていは不得意分ばかりを気に病むことになる。

不得意分野を得意分野にできるよう頑張れ
…というのは簡単だし、
克服することではじめて自信は得られるもの。

だけど、そう易々とはいかないし、
何でも平均的にできるようになったからといって、
それで人生が豊かになるとも思えない。

学校での勉強…
あるいは家庭での躾というものは、
何かをできるようにする、ためのものではなく、
できないことを徹底的に知らされることにこそ
意味があるのかもしれないな。

できるつもりでいると…
結局できないまま錯覚を続けることになるうえ、
そこを補うための能力も開花されることはない。

自分の中のマイナスが
進むべき道へ自分をいざなうエネルギーなんだ。

500m走で、
みごとトップとグランド半周の差をつけられ、
決定的なびりっケツの苦渋をなめた次男坊への
…せめてもの、はなむけの言葉だ。


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