20090419
でじたけ流 教育論

第455回

アドリブ教育論


思うに…
学校や会社で人にもまれながら、
机上では結論が出せない
偶然への対処の仕方や活かし方を学ぶのは、
つまるところ…
子供を育てるために必要だから
…かも知れないね。

まず子育てというものは、
思った通りにはいかないものだ。

自分の子供を持たない人でも、
年齢を経て
後輩を育成する立場に立つようになれば、
同じような思いに至るだろう。

それが自分の子供となれば、
より直接的であり、
より逃げ出すことはできくなる
…というだけで、ね。

社会で人にもまれることから逃げて、
生殖の結果として子供を授かった場合には、
子供と泥まみれになりながら、
やはり、偶然への
対処の仕方や活かし方を学ばざるを得ない。

少なくとも、
豊かで幸せな暮らしを望むのであれば…。

まず子育てというものは、
思った通りにはいかないものなのだが、
そこには思った通りにいった以上の
想定外の幸福感もある。

何も子育てに限定したことではないけれど、
子育てが、その連続であることは間違いない。

そうした想定外の喜びに出逢うことが、
平たく言えば
「生きててよかった」と言えることだろう。

さて、子供に相対していると…
四六時中、アドリブでも切り返しが余儀なくされる。

サッカーで泥だらけになって帰ってきた次男が、
その後もさんざん遊びまくって、
夜になると、もう眠たくて仕方なくなっていた。

それは健康的でいいことなんだけど…
風呂に入るのも面倒になってる。
汗まみれで犬臭くなってるというのに。

果ては、
「昨日入ったから、今日は入らない」
…などと苛立つ始末。

そこで私はこう切り返した。

「わかった。
 じゃあ、今日メシを食ったから、
 明日はメシを食わせない」

そして…次男はしぶしぶ風呂へ。

時にはこっちも苛立って、
問答無用ということにもなっちゃうけど…
本来、は自身に納得させて
自ら動くように仕向けるのが「育てる」ということだろう。

子育ては切り返しの連続。
親は日々アドリブの訓練を怠るわけにはいかない。


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