「トロッコ問題」が
物議をかもし出したこともあって、
マスコミは、まるで
2匹目のドジョウを探すが如く、
ネットで炎上している
教育問題について取り上げている。
そのひとつが小学生の「算数問題」。
詳しい数値は忘れたが、
こんな感じの問題だった。
あなたの家から、友達の家まで
歩いて20分かかります。
3時30分に着くためには、
何時に家を出る必要がありますか?
その理由も答えなさい。
…答えとして学校側が
出してほしかったのは、3時10分。
理由は、
3時30分から20分を引くと
3時10分になるから。
この問題に対し、ある生徒が…
3時5分と答え、その理由は、
慌てずに済むよう
余裕を持って出る必要があるから。
…そして、不正解となった。
「算数」としての答えは
間違っているかもしれないが、
理由を読めば、
キチンと計算できていることもわかる。
そこで、教師叩きの炎上がはじまる。
ただ、もはや教師に期待すること自体、
ないものねだりのような気がしてしまう。
教師は子供たちを
カリキュラムによって
「管理」しているだけで、
「教育」する仕組みにはなっていない。
教師をなまじ「教育者」だと思うから、
失望するのであって、
最初から、ただの「管理者」だと思えば、
過剰な期待もないのではないか…。
もちろん中には、いい先生もいて、
自分などは非常に先生に恵まれてきた。
だからといって、
すべての教師にそれを求めるのは難しい。
それは、学校の教師に限らず、
病院の医師や、企業や役所の担当者も同じだ。
管理者の言うことだって、
理不尽だとわかっていても、
そこに法律やルールがあれば
聞かないわけには、いかない。
そこをうまくやっていくのは
…生きる知恵。
こんなことを言うと、
子供たちが先生の言うことを聞かなくる
…という懸念もあるだろう。
しかし、それも大いに結構な話。
何せ、2001年に、
このページを書籍化したタイトルは
「先生の言うことなんて聞かなくていい!」
…だし。
Amazonで、1円で買えます。
大人が言っていることや
常識を疑ってかかること。
そこから自分で考えることこそ、
「育つ」ことに違いないし…
そんな子供たちの疑問や悩みに
…徹底的に付き合うのは、親の役目。
本来「教育者」でなければならない
親が「管理者」に甘んじ…
もともと一時的な「管理者」でしかない
教師に「教育者」の責任を
負わせてはいないか…?
自分が楽をするために、
他人に何かを押しつける。
そんな、ずるい大人の見本になっては
…真っ先に親が疑われてしまうだろう。
やっぱり…人生、日々更新。