でじたけ流 教育論「選択肢を作れる人になる」
 

でじたけ流“教育論”
第1000回「選択肢を作れる人になる」


「トロッコ問題」を
小学校で行ったことが問題視され、
学校側が謝罪する騒ぎになった。

「トロッコ問題」とは何か?
…については、
Wikipediaでも見ていたたくとして

簡単に説明すると…

トロッコが進む線路が二股に分かれていて、
そのまま行くと線路に縛り付けられた
5人がひき殺されてしまう。

自分の目の前にある線路の分岐器で、
もう一方の路線にトロッコを進めると、
そこに縛り付けられた1人がひき殺される。

さて、あなたは分岐器を使い、
1人を犠牲にして5人を助けるか否か

…という、究極の選択だ。

この問題は、そもそも
道徳観について話し合うために
倫理学者が作った問題らしい。

それを年端もいかぬ
子供に突きつけたために、
問題視されたというわけだ。

5歳児を担当している
保育士の娘にその話をしたら
「そんなことないよ」と鼻で笑った。

今年の春からカリスマ保育士に弟子入りした娘。
その勤め先で出している
保育士向け教材ビデオを見ると、
確かにそうだろう…と、うなずくことができる。

子供を子供扱いせずに
徹底的に議論させている。

その先で子供が何かに気づき、
自分で解決の道を開く様子が
克明に映し出されている。

さて…
トロッコ問題では、
分岐器を使うのも自由、
使わないのも自由…とされているが、
この問題を読む限り、
本当の自由は、そこにはないと思う。

選択肢を広げることが、
人間に課せられた本当の自由ではないのか?

倫理観に裏打ちされた自由な発想に加え、
知恵と勇気を振り絞り、
選択肢を作れる人間を育成することが、
本来、教育の使命だと思う。

まず、分岐器を使って5人を助け、
残る1人に駆け寄って、もう1人も救い出す。

それが、正しい答えだろう。
インディ・ジョーンズなら、必ずそうするはずだ。

子供がトラウマになることを恐れるなら、
家でシューティングゲームなんか、
やらせるべきではないだろう。

ハラハラドキドキしたいなら、
インディ・ジョーンズを見ればいいんだ。

そして…
面倒な説明を放棄し、
あっさり謝って楽に済まそうとする
…そんな、
ズルい大人に育てないことが必要だ。

今回で1,000回目を迎えた、この教育論。

確か最初の頃には…
幼稚園に行きたくない
…と、ダダをこねた
5歳の頃の娘の話を書いた記憶がある。

その娘が、もはや
保育士として5歳児の面倒をみる側に
なっているということに時の流れを感じる。

やっぱり…人生、日々更新。

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