20000611

でじたけ流 教育論第4回 カミナリおやじ入門


家に小さな子供がいると・・・。

子供の走り回る音・・・狭いウチの中でも何でいちいちダッシュするんだろうね。
大声で喋る声・・・思いつくコトは人の話を押しのけてでも、するんだよね。
歌う声・・・遊びながら、つねに何か歌ったりしてるんだよね。
泣く声・・・赤ん坊はもちろんだけど、兄妹ゲンカは絶えないし。

これらが年がら年中響いていて実に賑やか。テレビの音も聞こえやしない・・・。

しかし、それにも増して響き渡るのが・・・子供を叱る親の怒鳴り声だ。

一日も終わりに近づくと、カミさんの声はもうかすれ出す。
独身時代のカミさんしか知らない人が、たまに来たりするとその変貌ぶりに驚きを隠せないようだ。
「あの、おしとやか(?)だった○○ちゃんが・・・」ってな具合に。

実は私自身は「怖い父親」を目指しているので、もちろん子供たちにカミナリを落とすコトも間々ある。

私は教育上、家の中に怖いと感じる存在が必ずいなければならないと思っている。
で、それを担えるのはやっぱり父親だと。

家庭という社会の中で、自分がやりたい放題できていたのでは・・・。
学校という社会や実社会に出ても、きっと基本的には、まわりをナメてかかるだろう。
だが、社会はそんなに甘くない。
もちろん実際に出ていかなければわからないコトはたくさんあるが、出てから知ったのでは遅いコトもあるし、そういうモノであるコトを知らないと結局ヘンなところで悩んで損をしてしまうコトだって少なくないだろう。

教育とは言い換えれば、できるだけ遠回り=損をせずに世の中を渡り歩くための知恵を与えるコトだ。
それを真っ先に与えるのが親の重要な役割のひとつであるコトは間違いない。

だか、この怖さというのも慣れてしまうモノで・・・いつもベッタリいっしょにいる母親の言うコトは、なかなか聞かなくなってしまう。
したがって、父親が時々ガツーンと言わないと、子供たちにはこたえない。

叱り方の基本は、ガツーンの一発でいいと思っている。
決してクドクドは言わない。場合によっては黙って実力行使。
長男が3つ4つの頃には、よくワンボックスの車の中に放り込んだモノだ。
昔でいえば押入だね。

こういう連中と並べて、まだ次男(間もなく8ヶ月)は  
いっしょに寝かせられない  
3人の子供の名前は全部私が考えたんだけど・・・。
そんなワケで、名前を考える時には実際に声に出して怒鳴りつけやすさというのも考慮に入れた。

カミさんが子供を叱っているところを見ると、たまに端で聞いていても「クドいな」と思うコトがある。
理論立てて長い説教を繰り返ししている。
でも結論から言えば、言われてる時には黙って聞いていても、またすぐに子供たちは同じコトをする。

自分が子供だった頃のコトを思い返してみても・・・長い説教というのはあまり効果的ではない。
覚えているのは、ただ「長かった」コトだけで、何で叱られたのかさえ忘れている。

考えてみると長い説教をするのは、相手のためというよりは、むしろ自分のストレスを発散するためにやっている場合が多いように思う。
愚痴半分・・・だからクドい。

一見、懇切丁寧に、理論立てて話すというのは相手にわかりやすいようだが・・・結局、自分で感じたり気づいたりしたコトでなければ残らない。
だから本当に相手のコトを思ったら自分が言いたいコトを押さえてガツンとひと言でいい。
なぜ叱られたのかは、後で自分で考えればいいのだ。

再び自分が親に叱られた時のコトを思い起こしてみると・・・。
父親にはいきなり殴られたコトとか、母親には何も言わずに泣かれた時のコトの方が、何十時間かけて説教された時より、はるかによく覚えている。

私もかなり悪かったからなぁ・・・。
ひょっとしたら、母親にクドクド言われてる子供たちの方に感情移入してしまっているのかも知れないな。


でじたけ流 教育論

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