Fictional Talk No.049(001022)
001 1896 America
1896年のニュージャージー州に、マイナ夫人を訪ねた。
ウェスト・オレンジの邸宅は彼女のために建てられたもので、その時、ちょうど築10年。と、いうことはマイナ夫人とご主人も、ちょうど結婚10年目ということになる。
ご主人はいつものように仕事場に行ったきり、もう何日も戻っていない。結婚後10年の年月が経過したから、そうなった…というわけではなく、ご主人は最初からそういう人だった。
彼女にとっても、それは覚悟のうえ。そろそろ着替えの服とお気に入りのタバコを差し入れに行こうと思っていたところだという。
ところが突然、私のような異邦人が訪ねたものだから、予定は変更。でも彼女は
「いいの。どうせ私が行ったところで邪魔者あつかい。ただし、タバコが切れていたら歓迎されるかも」
とニッコリ笑ってくれた。
結婚10年、息子のチャールズ君は6歳。うちも結婚9年で子供は3人いるが、長男は7歳。そんな共通点もあって彼女との会話は、いきなりはずんだ。
ただし、彼女は私より10近くも若い。結婚したのは19歳の時だったというから、まだ30にもなっていない。
「そのかわり、うちは主人がずーっと上よ。今年でもう49だもの」
20歳年上のご主人が歯の色が変わるほど好んで飲んでいるという紅茶を入れてくれた彼女に、ちょっと意地悪な質問をしてみた。
「そんなに歳が離れていて、ご主人のことが理解できなくなることはありませんか?」
紅茶をひとすすりした彼女は再び屈託のない笑顔を見せる。
「男と女の仲なんて…どうせ、そんなものでしょ?!」
そりゃ、そうだ。歳が近いからわかる…ってもんでもない。
「それに、あの人のことを理解できる人間なんて、この世に存在しないんじゃないかしら?」
「まさしく、そうですね。たぶん100年たっても無理だ」
「100年ですって? それは大げさよ」
本当は大げさでも何でもないことを私は知っていたが、ここは彼女に合わせて、いっしょに笑って見せた。
「主人は確かに、人の思いつかないようなことをするスゴイ人よ。何でもよく知ってるし…」
私が思いきりうなづいて聞いていると、彼女はニヤッと笑った。
「でも、そんな主人にも、わからないことがあるの。…何だか、わかる?」
「さぁ…。図書館の本を全部読んじゃうような人にも、わからないことがあるんですか?」
「もちろん。ははあ…。あなたもわからないクチね」
「?」
「女性よ。女性については、いくら本を読んだって、わかるはずないもの」
「ギクリ!」
聞くところによると彼女のご主人にとって一番大切なのは仕事。しかも、それが楽しくで仕方がないという。
いつも徹夜をしていた仲間が結婚して、ちょっと淋しくなってきたご主人が最初の結婚をされたのは24歳の時。ちょうど母親が亡くなったと…いうこともあったのだろう。
「前妻のメアリーさんが病気で亡くなったのは、ちょうど今の私と同じ歳なの。
だから主人にとって29歳以上の妻を持つことは未知の領域なわけ」
「未知の領域に挑戦なさることが好きなご主人にとっては、これからが楽しみでもあるわけですね」
「そうだと、いいんだけど…あいかわらずよ」
私が持参したミニカーで遊んでいたチャールズ君が、そろそろ飽きたと見えて彼女の元へやって来た。
チャールズ君の手にはシッカリとミニカーが握られていたが、よく見るとボディだけでタイヤがない。
「あら、ダメじゃない、チャールズ。せっかくいただいたのに、もう壊してしまって」
「壊したんじゃないよ。分解して中を調べてみたんだよ。後で元にもどすから」
さすがにカエルの子はカエルだ。
どうやら、チヤールズ君は遊んでいる…いや、研究しているうちに腹が減ってきたらしい。
「パパと同じね。お腹が空いた時しかママの方を向いてくれないんだから」
用意してもらった軽食を前にしたチャールズ君が、いきなり頬張ろうとすると、彼女は少し厳しい口調で言った。
「お祈りは?」
彼女は熱心なクリスチャンだ。最もこの時代の人は、あらゆる知識を教会からの教えで知るのが当たり前のこと。
「主人にも毎週日曜日の礼拝くらい、いっしょに行こうって誘ってるのに、ちっとも行ってくれないのよ」
そりゃあ、真実を自分の力で見つけないと気がすまないご主人にとって無理もない話という気もする。
「どうせ耳が不自由だから、行っても意味がないっていうの」
「神さまより、ご自分を信じていらっしゃるのでしょう?」
「そうかもね。…でも」
彼女はテラスから遠くを見つめて、つぶやいた。
「私にはね。自分の研究が成功するように祈ってきておくれって言うのよ」
彼女が見つめるその先には…ご主人、エジソンの研究所があった。
ご主人が自分の工場で働く若きヘンリー・フォードの研究を認めたのは、私が訪ねた2年後の話である。