でじたけの伊豆紀行〜大室山の御神木

でじたけの伊豆紀行 2010/09/23

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大室山・浅間神社の鳥居

大室山の御神木に出逢う

ヒドラが生まれた山

雄大な山焼き

ohmuro2005.jpg大室山・山焼き伊東にある大室山はヒドラの生地である。初代「ウルトラマン」に登場した、あのヒドラだ。今もヒドラの像がシャボテン公園に鎮座している。本当はヒドラとして造られたわけではないようだけど、これを見たウルトラマンの脚本家がインスピレーションを働かせて、あの話を書いたらしい。
この大室山は立派な火山で、今もヒドラを生み出した火口は大きな口を開けている。頂上まで登ると火口の周囲が歩けるようになっていて、火口を見下ろすと現在はアーチェリー場がある。
この山が大昔に噴火した時、たくさんの溶岩が流れ出て伊東の地形を造った。温泉地故、地震も多いが、溶岩が固まったこの大地は思いの外頑丈に出来ていると聞く。

海岸に似つかわしくない大岩がたくさんあるのも、この噴火によるもので、ちょうど海の近くに大きな岩がたくさんあったために、伊東から船で江戸に運んで、江戸城の石垣を築いたという話もどこかで読んだことがある。

私自身はこの伊東では一番高い大室山より、小室山の山頂の景色が好きだが、毎年二月頃行われる大室山の山焼きには何度か足を運び、麓にあるさくらの里から眺めた。
山の周囲から次々と火が放たれ、黒い足跡を残しながら炎が山頂へ登ってゆく。その火の勢いは強く、リフトまで丸焼けになるんじゃないかと心配するほど。頂上に登り切った炎は、ちょうど火口の窪みが煙を巻き込んで、最期は天に向かって龍が昇っていくように見える。まさにヒドラの化身だ。

真っ赤な鳥居の先

CIMG0305.JPG大室山の御神木さて、三連休を伊東で過ごした帰り道。ちょっと時間があったので、大室山の周辺に車を走らせた。すると麓に真っ赤な鳥居を見つけた。蝋人形の館のすぐ近くだ。わきの林道に車を止め、鳥居をくぐってみる。後で調べてわかったのだが、ここが頂上にある浅間神社の正式な入口なんだな…たぶん。
鳥居のわきには「入山禁止」という立て看板があった。登山は禁止で、みんなリフトで登りなさい、ということらしい。

鳥居の向こうに見える深い緑があまりに美しく見えたので足を踏み入れてみる。10メートルくらいコンクリートの石段があって、その先は獣道のようだ。と、正面にひときわ大きな木が鎮座しているのが視界に飛び込んでくる。私は思わず足を止めた。その巨木は立ち尽くしている私に覆い被さるようにグーンと迫ってくる感じがした。

太い幹は途中から三方に分かれて伸びている。苔むした枝は枝と呼ぶにはあまりにも太い。その周囲に木がないので大きさが一層際だつ。まるで、周囲の木々を従え、その先頭に立ち、天に向かって両の手を広げているようにも見える。それは、あたかも神話に登場するキャラクターのようでもあり、巨木が見上げる天の上から、今しも未知の生命体が舞い降りてきそうな感じさえしてくる。

天城山中で見た太郎杉

img20080412133319.jpg天城の太郎杉似た景色をかつて天城の山中で見たことがある。樹齢400年という太郎杉だ。周囲にも杉の木は列をなしているが、太郎杉の一本だけが、まるで縮尺の異なる画像を合成したように、圧倒的な存在感を見せていた。ちょうど金魚の水槽に一匹だけ鯉がいるような感じにも思える。

異様な大きさというものに私は一瞬の怖さを覚える。
昔、上野の博物館の前に原寸大の鯨の模型があった。それを見た時にもゾクッとした。そのさらに昔…今ではすっかり見なくなったデパートの屋上に上げられたアドバルーンの大きさに恐怖を感じた記憶がある。
何か自分がすごくちっぽけな存在という感じがすると同時に、押しつぶされそうな威圧感を感じるのだ。それは蟻の心境にも思えるが、蟻はいちいちそんなことなど考えてはいまい。考えても意味のないことを考えるのが人間の賢さであり弱さかもしれない。

大室山の麓にある巨木は太郎杉ほどのスケールではないにせよ、鳥居を入った正面に、あまりにも堂々と立っていたので、それを見た瞬間は、この先にある神社ではなく、この巨木自体が祀られているものだと何の疑問も持たず納得してしまったほどだ。

緑のドームに聖地の声

CIMG0322.JPG大室山麓の山林巨木を中心とした幻想的な空間は、雑踏に住み慣れた私をしばらくの間、動揺させた。見上げる角度によって、まったく違う道筋を見せる巨木を時折仰ぎながら、ゆっくりと歩いてみる。

巨木は巨大な緑のドームを支える中心の柱のようにも思える。周囲に人の分け入った痕跡はほとんどない。風によってへし折られた木が倒れて朽ち、自然の厳しさを見せつけていた。

木立の間を歩く時には、できるだけ広い間を通った方がいい。比較的狭い空間には蜘蛛が宮殿を築いている。一歩一歩草を踏みしめて行くと、足下の少し先の草が揺れているのに気づく。バッタだったり、コオロギだったり。招かざる訪問者に慌てて飛び跳ねている昆虫たちが無数にいる。

草木を含めて、ここにはいったいどれだけの命があるのだろう? それはおそらく渋谷の交差点を埋め尽くす人並みの比ではないだろう。

CIMG0318.JPG御神木に佇む地蔵巨木の裏側に小さな地蔵があるのを見つけた。
巨木に敬意を表してしゃがみ込んで手を合わせた瞬間、遠くに聞こえていた車の往来がフッと止んだ。静寂に吸い込まれる。と、次の瞬間には蝉の声が、まるでお経の出だしのようにフェードインしてきた。やはり御神木なのか。

もし神というものがいるとすれば、それは自然そのもので、人の形などはしていないだろう。そんなことを感じられる空間が、ここにはあった。

自宅に戻って、この話を小5の次男にした。
自らの思いつきで初めて伊豆に来た時、小学校に入るか入らないかくらいだった次男を連れていた。その時、勢いで入った蝋人形の館が怖くて、最後まで見ずに飛び出してきた思い出がある。

「あの時からずいぶん大きくなったから、また今度、蝋人形の館に入ってみるか?」と聞くと、次男は眉をひそめた。「動かないものを見ても面白くないよ」と精一杯の強がりながら。
続けて「じゃあ、その近くにあった大きな木のある場所へは行ってみたい?」と尋ねると「そこには行ってみたい」と言う。
「木だって動かないよ」と意地悪な質問を繰り出すと次男は自信をもって即座に答えた。「だって、木は生きてるでしょ」。…確かにそうだ。森は生きている。生きているだけでなく、絶えず空気を作り出しているのだ。圧倒的な生命力をもって。


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