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Fictional Talk No.039(990530)
架空対談 
プロとは

A「・・・早いものね。私が、こちらの世界に来てから、昨日でちょうど57年にもなるわ」

T「あなたのお国・・・Japanでも男女雇用均等法という法律が施行されたそうで。私たちが生きていた時代とは、ずい分変わりましたわね」

A「日本では、ようやく・・・といった感じ。それにしてもアメリカでは、私が生まれる前から社会的な地位を持つ女性の専門職があったとうのには驚いたわ」

T「私たちタイピストという職業が誕生したのは、1875年12月。あなたの生まれるちょうど3年前ね」

A「日本で言えば明治8年。平民にもようやく苗字というものがつけられた年だものね」

T「その年、ニューヨークの新聞に載った"タイピスト募集"の広告には胸が躍ったわ。女性の職業としてはお給料が破格の高給だったもの。私もそれに飛びついたひとり」

A「私の国ではタイプライターどころか、まだ硯と筆があたり前の時代。・・・幸い大きな和菓子屋に生まれた私は、経済的には恵まれて育ったので、当時として珍しく女の私でも幼い頃から学校に行かせてもらったけれど、それでも女に学問は必要ないって・・・自主的に本を読むことさえ許されなかったわ」

T「タイピストが多くなると、さすがにお給料は最初の頃に比べれば、ずい分下がったけど、それでも女性ができる他の職業に比べれば、かなり良かったわ。何せ当時は女性の事務員という職業もなかった時代だもの。・・・タイプライターが発明されたおかげで、私たち女性は家庭の束縛から解放されて社会に出ることができたの」

A「タイプライターは確かに大発明だわ。だけど、それを扱うことができる技術がなければタイピストとしてお給料をもらうことはできないでしょ」

T「もちろん、そうね。その後、電話が登場してきてようやく女性事務員の誕生することになるけれど、機械や人に対する柔軟な姿勢は、男性より女性の方が勝っていると思うの」

A 「私にとっては・・・・詩を詠むことかしら。・・・樋口一葉が20そこそこで、リッパな小説を書いていることには、ショックを受けたわね。女性ならではの感性で・・・」

T「あなただって17、8の頃には、自作の短歌で雑誌の入選を果たしたじゃない?!」

A「確かに身近な人たちは誉めてくれたわ。でもね、結局は島崎藤村の模索でしかないことに気づいたの。このままじゃ、より広い世界では通用しないって・・・」

T「そんなあなたをより広い世界に導いてくれたのがダンナさん?」

A「そう、鉄幹さん」

T「双子を含めて8人のお子さんと尊敬できるダンナさまに恵まれて・・・、そのうえ数多くの名作を残すなんて、本当にうらやましい人生よね」

A「・・・彼の元に嫁いで、私は与謝野晶子になったの」

T「そう言い切れるところが一番マネのできないところよ」


与謝野晶子(歌人)1878-1942 享年64歳
世界初の女性タイビスト(姓名不詳)1875誕生。


参考資料:「学習まんが人物館/与謝野晶子」小学館=刊
     「雑学・世界なんでも最初のこと」P・ロバートソン=著 大出 健=訳 講談社+α文庫=刊

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