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Fictional Talk No.032(990411)
架空対談 
意地とは

K 「ともかく私共は若くて絶えず変じ新たに層より層を変えて、偶像を自分で壊しては進み創って、誤ったことに気が付いたときには、立派に焼き捨てて、勇ましく愉快に進みましょう」

M「Of course!! 私もそうして生きたつもりだ。しかし、48年前の今日。4月11日のことを思い出すと正直、悔しい気持ちでいっぱいだな」

K「十万百万千万年、千五百の万年の前のあの時を貴方は忘れてしまっているのかい?」

M「忘れるものか。I shall return. その言葉通りに、私はフィリピンに戻った。そして日本へ・・・66の時だった」

K「私の行くところは、このように明るい楽しいところではありません。けれども、私共は、みんな、自分でできることをしなければなりません」

M「日本に対する印象は悪いものじゃなかった。厚木に降りたった後に宿泊した先は、横浜のホテル・ニューグランドだったが、実はこのホテルに宿泊するのはその時が2度目。その8年ほど前に再婚したワイフと泊まったことがあった。新婚旅行でね」

K「私は前にさかなだったことがあって食はれたにちがいありません」

M「おいおい、私は鬼じゃない。一億総懺悔も結構だが、軍用の『慰安施設』を設立まではいただけない。私は、あくまでも理想的な国家建設のために派遣されてきたに過ぎないのだ。私の一番の任務は、敗戦を機に日本が共産主義に走ることがないようにすることだった。そのためには豊かなアメリカの良さを日本の国民に知ってもらう必要があった。・・・ちょうど、ペリー提督が蒸気機関の模型を見せて日本人を驚かせながら開国に導いていったようにね」

K「いったいどんなものがきたなくてどんなものがわるいのですか?」

M「私は軍人、そして愛国者だ。自国が正しく、敵国が間違っているという考えに疑問は持たない」

K「ああ、かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される。そしてそのただ一つの僕がこんどは鷹に殺される。それがこんなにつらいのだ。ああ、つらい、つらい。私はもう虫をたべないで餓えて死のう」

M「おいおい、とてもそんな風には思えないな。第一、自分が餓えて死ぬより、戦って大勢の人たちを救うことの方が大切ではないかね?」

K「私は教師をやめて本当の百姓になって働きます」

M「私は軍人をやめることはできなかった。だから中国との交戦を訴えたのだ。しかし、政治家の考え方は違った・・・」

K「頑張りすぎも考えものです。その時は良くても、あとで支障を生じます」

M「老兵は死なず。ただ消えゆくのみ・・・。この言葉を言わなければならなくなったのが、48年前の今日だった。私はしょせん軍人。結局、大統領には逆らえなかった・・・というわけだ」

K「軍人である前に人間ではないですか・・・永久の未完成これ完成です」


宮沢賢治(教師、作家)1896-1933 享年37歳
ダクラス・マッカーサー(軍人、GHQ最高司令官)1880-1964 享年84歳


参考資料:「今日は何の日」PHP研究所=刊
     「宮沢賢治の感動する短いことば」山根道公/山根知子=編著 角川mini文庫=刊
     「朝日クロニクル週刊20世紀 1945」朝日新聞社=刊
     「21世紀こども人物館」小学館=刊 ほか

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