Presented by digitake.com

 

Fictional Talk No.030(990328)
架空対談 
過信とは

R「・・・失礼ながらボクと先生は、かなり似たところがあると思いませんか?」

T「ほぅ、キミのような逞しく強う男にそう言われるのは、悪い気はせんがの。ワシも怖い者知らずとはよく言われたもんだ。・・・お互い、名前に"山"がついておるしの、ガッハッハッ!」

R「先生こそ本当にお強い方だ。ジャーナリスト時代には堂々と軍部批判をされて、当局から全文削除の要請があったにもかかわらず、それに屈しなかった。あの時代にあって、そこまでできた方は、まずいないでしょう」

T「そりゃあキミ。ワシにとっては当たり前のことでな。しかし、お陰で政治家になってからもGHQにタテついたんで公職追放の目にあっちまった」

R「しかし、そういう先生の姿に拍手喝采を送った民衆は多かったでしょう」

T「拍手喝采といやぁ、キミの方がすごいじゃないか。街頭テレビに群がる人の山は、今なお語り草だ」

R「アメリカ遠征から戻って、すぐにテレビ局に中継をお願いしに行きました。最初はNHKにね。でも当時は、まだ相撲中継もない時で難色を示されました」

T「・・・ほう」

R「そこで今度は、日本テレビの正力さんに頭を下げたんです。さすが先見の明がある正力さんは未知のスポーツの中継を承諾してくれました。ところが日本テレビでの中継が決定したとたんNHKが割り込んできた。正力さんは"テレビ普及のためなら仕方ない"と独占をあきらめたんです」

T「時代を動かしているのは民衆だよ、キミ」

R「テレビ中継のリングに上がるまでがボクにとっては戦いでしたね。リングに上がれば考えられるのは、目の前にいる敵のことだけです」

T「それでエエんじゃ。男が強く生きるとは、そういうこっちゃ。・・・そうして確実に戦い勝ち進めば、自然と頂点に登り詰めることができる」

R「でも、それだけじゃダメだっていうことが後でわかったんです」

T「ん?」

R「先生の首相在任期間は71日でしたね」

T「そうじゃ。最も後半は病床におったから・・・」

R「実際に執務をなさったのは34日間・・・実質的には戦後最短の内閣になってしまった」

T「まいったよ。首相就任祝賀会を母校の早稲田でやってくれるっていうんで出かけたが、寒い日でな。すっかり風邪ひいちまった。しかし、首相になってすぐ休むというわけにもいかんもんだから無理したら、とうとう肺炎だ。・・・朝からスキヤキを食ってたからな、体力には自信があったんだが」

R「そりゃボクも体力には自信があった。ヤクザに刺されたのは不覚だったけど、そんな傷はどってことない・・・。過信して飲んだり食ったりしてたら腸閉塞を起こして」

T「う〜む」

R「俺もやってみたかったなぁ・・・還暦試合」


力道山(日本プロレス界の父)1924-1963 享年39歳
石橋湛山(第55代内閣総理大臣)1884-1973 享年88歳


参考資料:「金曜日夜8時伝説」竹内宏介=著 日本スポーツ出版社=刊
     「週間20世紀 1952」朝日新聞社=刊 ほか

[ Backnumber Index ]