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Fictional Talk No.020(990117)
架空対談 
倹約とは

M「わたくしが国民に対して"パンがなければ、お菓子を食べればいいじゃないの"と言った・・・と伝えられていますが、それは当時の新聞がでっち上げた、まったくのデタラメですのよ」

K「それは誤解でしたな。しかし、国民に重税を課して、自らは贅沢三昧をなさっていた・・・これは事実でしょう?」

M「それは、あなた。わたくしは生まれながらにして、そういうことが当たり前の環境に育ったんですもの。何の疑問も持ちませんでしたわ。まして18歳にして王妃になったんです。そんなことについて考えているヒマもなかったわ」

K「確かに、あなたと私とでは生まれながらにして違い過ぎる。・・・私が生まれたのは、浅間山の噴火にはじまった"天明の大飢饉"の最中。生まれた家は元は豊かな地主でしたが、人のいい両親は周囲の恵まれない農家に施しをし過ぎて、とうとう家を潰してしまいました」

M「それはお人好し過ぎるわね。自分の財産を人のためにつかってなくしてしまうなんて」

K「いや、私は立派な両親だったと思っています。ただ、運が悪かった。蓄えをなくしても先祖代々の田畑があれば、すぐに取り戻せると信じていたんですが、その田畑が嵐によってメチャクチャになって・・・。荒れ地を元通りにしようと働き過ぎた父上は体を壊し、とうとう亡くなってしまったのです」

M「あら、やっぱりお人好し過ぎるじゃない? そもそも蓄えなんてものは、そういう時のためにとっておくものでしょう?!」

K「他人の不幸を見過ごせなかったのでしょう。・・・あなたには、そういう感覚がないのですか?」

M「失礼ね。わたくしにだってあります。15歳で皇太子妃としてお嫁入りした時には、パリ市民の半分以上がお祝いに集まってくれましたけど、夜祭りの花火が原因で大火が起こり、130人以上もの人が亡くなる大惨事が起きてしまいました。その時には犠牲になった方々にお金をお送りしましたわ」

K「そういう感覚をお持ちのあなたが、長く国民を苦しめられたとは・・・」

M「あら、わたくしは王妃であって政治家ではありませんもの。王妃として恥ずかしくないよう贅沢に着飾ることが、いわば仕事ね」

K「私が奉公した小田原藩の家老、服部十郎兵衛様も最初はそうでした。荒れ地を開墾し、私が若くして大地主になったことを聞きつけて、財政難におちいっていた屋敷の建て直しを命ぜられた時、誰もいない部屋にも、こうこうとアンドン明かりがついていたのをやめさせるところから仕事ははじまりました」

M「倹約させた・・・と、いうわけですね」

K「はい。しかし、それは倹約というより、むしろ贅沢な暮らしをあたらめて、庶民と同じ暮らしをしていただいたに過ぎません」

M「・・・庶民と同じ暮らしねぇ。それでも生きてはいけたかもしれないけれど、わたくしにとっては死ぬよりもつらいことだったかも・・・」

K「そんなことはございません。人間、やる気になれば何だってできる。死ぬよりつらいことなど、生きている時にあろうはずはない。生きていること自体が希望なのですから」

M「どうして、あなたはわたくしが死んでから生まれてきたのですか? それも日本人になど生まれずにフランス人か、わたくしの祖国、オーストリアに生まれてくればよかったのに・・・!」

K「そう申されましても・・・。けれど、もしそういうことができたとしたら、フランスかオーストリアの小学校や中学校には、タキギをしょって本を読む私の銅像が建てられていたことでしょう」


マリー・アントワネット(フランス革命によってギロチンにかけられた王妃)1755-1793 享年37歳
二宮金次郎(各地の農村たてなおしに努め幕府の役人にまでなった農民)1787-1856 享年69歳


参考資料:「世界の伝記/二宮金次郎」笠原一男=監修 集英社=刊
     「世界の伝記/マリー・アトンワネット」木村尚三郎=監修 集英社=刊

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