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Fictional Talk No.012

架空対談勝敗とは

やすし「だいたいやな、男が敵に背中見せたら、こいつはあきまヘンで」

慶 喜「余は別に、敵から逃げたわけではないぞ。ただ、江戸の街を戦場にしないために、江戸城を明け渡しただけのこと」

やすし「そりゃ、逃げたんとおんなじや。男だったらドーンとぶつかっていかなきゃあ・・・。人生、イチがバチかやで。だから俺んトコの息子には"一八"っちゅー名前つけたくらいや」

慶 喜「余が76歳で死んでから、今日11月22日でちょうど85年になるが、余の決断は歴史的に見ても正しいものであったと信じておる」

やすし「結果オーライちゅうわけかい。まぁ、エエやろ。・・・で、最期の将軍は、将軍やめてから、いったん何をしとったんじゃ?」

慶 喜「フム。余が大政奉還に踏み切って、江戸城を明け渡したのは、30の時じゃ。将軍でいた期間は、わずか2年足らずに過ぎん。本木雅弘殿が、よう演じてくれておる。・・・江戸城を出てからは上野寛永寺で謹慎。その後、静岡に移って謹慎生活を続け、謹慎が解かれたのは2年後のことじゃ」

やすし「モックンほど二枚目かいな?!」

慶 喜「余の人生の中では、隠居後の方がずっと長かった。その間は、趣味に生きることができた。写真、油絵、日本画、陶芸、手工芸、乗馬、自転車、ドライブ、フランス語、鉄砲猟、釣り、投網、放鷹、鵜の飼育、弓、打毬、歌謡、小鼓、書、和歌、俳句、囲碁、将棋・・・」

やすし「そんなに、たくさんの趣味があったんかい?」

慶 喜「ことに写真には没頭したぞ。撮影旅行に出かけていたために妻の臨終にも間に合わなかったほどじゃ。今でも子孫が写真家をしておるが、あれは余の血筋じゃな」

やすし「そりゃあ、恐れ入りましたわ。俺も真剣に趣味やったからな、わかるような気がするで」

慶 喜「たまたま徳川を継ぐことにはなったが、余はもともと新しいものには何でも挑戦したいタチでな。そのためには勉強もいたしたぞ。ナポレオンが好きで、フランスの共和制やイギリスの議会制もずい分と研究したものじゃ」

やすし「やっぱり人間、いくつになっても勉強せなアカン。そういうこっちゃ」

慶 喜「そのためには、短い人生、深酒などしている暇はないぞよ」

やすし「・・・・・。俺も、もうちょっと酒ひかえて、勉強しとったら国会議員くらいなれたかもなぁ」


横山やすし(漫才師)     1944-1996 享年51歳
徳川 慶喜(徳川家最期の将軍)1837-1913 享年76歳


参考資料:「徳川慶喜をめぐる幕末百人」世界文化社=刊
     「幕末・維新おもしろ辞典」奈良本辰也=監修 三笠書房=刊 ほか

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