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Episode No.070:薄幸の才女

「娘よ、結婚を申し込まれたそうだな」

「はい、お父様」

「で、お前の気持ちはどうなんだ?」

「彼は明るくて、男らしく、心の広い、とても素晴らしい方ですわ」

「それでは言うことはないではないか」

「ただ、私よりだいぶ年上だということと・・・」

「ほかにも何か気になることがあるのか?」

「もう、すでに何人かの奥様がいらっしゃるので・・・」

もちろん、これは現代の話ではない。
今からちょうど1,000年前、平安時代の話。

父親の名前は藤原為時。娘の本名はさだかではないが、後に紫式部と呼ばれた才女である。

結局、紫式部は藤原宣孝の何人目かの妻になり、女の子を1人もうけるが、3年後、夫は病死。
その後、『源氏物語』の執筆を開始することになる。

ライバルは『枕草子』の清少納言。紫式部より7つほど歳上だったが、こちらも歴史に名を残す才女。
明るく積極的な清少納言に対して、紫式部は内向的で、美しかったが暗いイメージの女性だったという。
3歳で母親を失い、続いて姉。その上、夫にも先立たれたことが、彼女の人生に暗い陰をおとしたことは想像に難くない。

しかし、こと文学については紫式部も清少納言に対するライバル意識はムキだし。
「彼女はいばった顔をしている。利口ぶって漢字を書き散らしているが、まだまだ不勉強。行く末は、ろくなものにはならないだろう」と清少納言を厳しく批判する一面もあったという。

ところで、この時代には紫式部や清少納言、和泉式部といった現代人でも名前くらいは知っている女流作家が登場しているが、それには大きな理由がある。

それは、初めて日本語を自由に表現できる仮名文字が発明されたこと。
この頃の正式な文字は漢字のみで、男性は漢字を使い、仮名文字は女性を中心に広まっていった。
そのため、現代に残る当時の文学者の多くは女性となった・・・というわけ。

『源氏物語』の登場人物は200名以上。描かれた時間は70年間。54帳にもおよぶ大河ロマンで、世界初の長編小説とも言われている。
書かれたのは、紫式部が31歳頃から38歳頃までの7年間。執筆中にも貴族の人気は高かったが、和歌などと対等の文学として認められるようになったのは、200年後の鎌倉時代に入ってからのこと。

もちろん、44歳でこの世を去った紫式部自身は、そのことを知る由もない。
しかし、紫式部にとって物を書き、想像の世界に浸ることは、その作品が文学と認められようが、どうだろうが、どうでもよかったことに違いない。


参考文献:「人物日本史 紫式部」学研=刊

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