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Episode No.049

江戸・中野村に住む源助の本業は百姓だったが、なかなかのアイデアマンでもあった。

日本に初めて象がお目見えしたのは鎌倉時代。その後、室町時代にも来日をはたしているが、源助が生活していた江戸時代になってから、また2頭の象がやって来た。

享保13年(1728)6月。中国の商人が幕府につがいの象を献上した。
長崎に着いた象は、長旅の疲れか上陸直後にメスは死んでしまったが、オスはその後、東海道を歩いて江戸を目指した。

途中、京で中御門(なかみかど)天皇が、ぜひとも象を見てみたいと言い出した。ところが、たとえ動物と言えども位階のないものは御所に立ち入りできない規則になっている。
そこで幕府は、象に従四位の位を授けて、中御門天皇にお目通ししたという。
まったく規則などというものは、都合によってどうにもなってしまうものだ。

従四位を持つ象は、無事、江戸にたどり着き、時の八代将軍・徳川吉宗に拝謁し、以後、浜御殿で飼われ庶民の人気を得た。

この人気に目をつけたのが百姓の源助だ。

熱心に浜御殿に通っては象の世話の手伝いをし、その都度、褒美(?)にあるものを持ち帰った。源助は口八丁手八丁で、持ち帰ったものを町民たちに売りつけては、結構な小遣いを稼いだという。

さて、象の方は浜御殿で13年間飼われていたが、成長するにつれて暴れるようになったうえ、餌代も馬鹿にならず、とうとう幕府は象を手放すことにした。

その引き受け手となった源助は、さらに大儲けをたくらんだに違いないが、さすがに幕府の手にも負えなかった餌代を稼ぎ出すことも出来ず、象は源助の手に渡った1年後に餓えと寒さのために死んでしまった。
肝心の象が死んでしまっては、飛ぶように売れた商品を製造することも、もうできない。

源助が売っていたもの・・・それは、象の糞。
その気になれば、何でも商売になるものだ。

それにしても源助から巨大な象の糞を買った人たちは、いったいどこに飾っていたのだろう?


参考文献:「日本史人物 その後のはなし」加来耕三=著 講談社+α文庫=刊

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