Presented by digitake.com

 

Episode No.047

今日は珍しく、昨日の話の続きをしよう。

私たちが使っている"太陽暦"は、太陽の運行、すなわち季節が交代する周期をもとに作られた暦である。
現在、世界共通に使われている"グレゴリオ暦"は、その一種で1582年にグレゴリウス13世という人が"ユリウス暦"を改正して定めたものだ。

ちなみに、太陽の運行ではなく、月の運行を基準にした暦は"月暦"とは言わずに"太陰暦"という。
"イスラム暦"は、この"太陰暦"をもとにしているらしい。

"グレゴリオ暦"の基本は1年を365日とし、4年ごとに閏年を置き、閏年は1年が366日となる。
と、ここまでは誰でも知っているし、実際に閏年を過ごした経験もあるだろう。
しかし、さらに"グレゴリオ暦"では100年ごとに閏年を1回省き、400年間で閏年を97回設けるというルールがある。

今まで自分が生きてきた中で、この100年に一度の閏年が省かれた年があったのかどうかは定かではないが、それにしても400年単位の世界的なルールを定めたグレゴリウス13世という人は、考えてみると、ずいぶんスケールの大きな人物だ。なんせ"グレゴリオ暦"が考え出されてから現在まで、ようやく400年ちょっとたったわけだから。

日本で、この"太陽暦"が採用されたのは、そう考えるとわりと最近で明治5年(1872)のこと。"グレゴリオ暦"の考案から、ちょうど290年後の話だ。

「旧暦12月3日を以て、明治6年1月1日とする」という詔書が、旧暦の明治5年11月9日に出されたというから、"太陽暦"採用のわずか1ヶ月弱前だ。これには当時のカレンダー屋さんもたまらなかったろう。

欧米諸国との交流が盛んになっていた当時、"太陽暦"の採用は時代のニーズであったには違いないだろうが、時の実力者で早稲田大学を作った大隈重信の回顧録には、"太陽暦"への改暦のきっかけについて、ちょっと興味深い内容が記されている。

それは、旧暦をそのまま使用することになると明治6年には閏6月があって1年が13ヶ月になる。そうすると官史への月給を年間13回支払わなければならなくなるので、"太陽暦"を採用して12回で済むようにした・・・というもの。

物事が大きく変わる時には、世間を納得させる大義名分とは別に"本当の理由"というのが常に存在するのかも知れない。

はたして今の政府が押し進めているさまざまな改革の"本当の理由"は・・??


参考文献:「おどろき日本史249の雑学」読売新聞日曜版編集部=編 太田 公=著 三笠書房=刊 ほか

[ Backnumber Index ]