Presented by digitake.com

 

Episode No.037

1926年6月7日。老人は、ひとり市街地を歩いていた。
老人にとっては通い慣れた道。その足どりは軽く、決してヨボついたりはしていない。

路面電車の通りに一歩踏み出したとたん、老人は中に浮いた。
彼がいなくなった今となっては誰も知る由はないが、あるいはその場所の近くにそびえ建つ"巨大な建物"を仰ぎ見ながら歩き出したために注意を怠ったのかもしれない。老人は路面電車にはねられ、意識不明となった。

倒れた老人に駆け寄った通りすがりの人々は、誰一人として彼が何者であるのか気がつかなかった。
着るものなどには無頓着だった彼は、貧乏な行き倒れに見えたことだろう。

老人は、この街のはずれに生まれた。
母と兄、姉を早くに亡くし、銅細工職人だった父の仕事を見ながら育った。

洞察力に優れた彼が幼い頃から手本としたのは、父の仕事、そして故郷の自然。
ねじ曲がった幹を持つブドウの樹やイナゴマメの階段状になった山肌・・・。"天然の美"には決して"直線"など存在しないことを幼い頃から知っていた。

彼は、そうして得た造形センスを20歳の頃から本格的に学んだ建築の世界に活かすことになる。

この仕事は、彼が31歳の時にはじめたものだった。
以来、43年間。彼が引き受けた他のさまざまな建築物は、この仕事のための研究と練習のためだったといっていい。

「身体が弱ってくればくるほど、私の精神はそれだけ敏活で自由に感じられるものだ」

その日、建築中の"巨大な寺院"サグラダ・ファミリヤから市街に出た、設計者アントニオ・ガウディは、路面電車にひかれ、そのまま帰らぬ人となった。

彼の人生は74年間だったが、今なお建築中のサグラダ・ファミリヤは、まるで生き物のように少しずつ、その姿を変えている。


参考文献:「わがガウディ」栗田 勇=著 朝日新聞社=刊

[ Backnumber Index ]