Episode No.292(990803):天の裁きは、あるか? この間の日曜日、近所の盆踊りに顔を出した。 昔は盆踊りと言えば、近くの神社などで見せ物小屋まで出て、一種いかがわしい雰囲気の不思議な魅力があったモノだが、最近は町内会が学校の校庭を借りて、まるでバザーのような感じになっている。 思えば1年ほど前に起きた毒カレー事件も、こんな雰囲気の盆踊りの会場が舞台になった。 そりゃあ、近所の奥さんたちが作ったカレーに毒が入ってるなんて、誰も思わないよ・・・な。 容疑者は逮捕されているものの、裁判の決着がつくまでには、まだまだ時間がかかりそうだ。 ことに日本の裁判は時間ばかりかかる・・・とよく言われている。 アメリカの場合には、州によっても異なるが基本的に陪審員制度がとられている。 つまり最終的には素人の多数決によって有罪か無罪かが決まる・・・というワケ。 逆に日本の場合に判決を決めるのは、言うまでもなく裁判官というその道のプロ。 地方裁判所の場合だと、重大事件では3人、それ以外では1人の裁判官がつく。 アメリカの陪審員は有権者名簿や運転免許証の名簿から無作為に選ばれ、陪審員になると裁判中は一般から隔離されるというえから、結構大変な仕事だ。 日本では普通の生活を送っていれば、まず裁判所に行くことなどないだろうが、アメリカの場合には、普通に暮らしていても、いきなり陪審員として裁判所が呼び出しが来ることもある。 もともと、さまざまな民族が共同生活をしているアメリカでは、個々の教育水準や生活習慣に合わせていたのでは、なかなか統制がとれない。 そこで、マニュアル文化が生まれてきたワケだが、法律や裁判というのも大きくとらえれば、マニュアルのひとつと言える。 ことに陪審員制度によって、アメリカ人とにとって裁判は、日本人に比べてはるかに身近なモノだろう。 実は日本でも昭和のはじめ頃には陪審員制度も採用されていて、裁判では裁判官よよるものか、陪審員によるものかを選ぶことができたようだが、戦争が激しくなるとともに陪審員制度は停止され、現在に至っている。 少数のプロが判決を下そうが、多数の素人が判決を下そうが、人間が人間を裁くことに変わりはない。 そういう意味では、100%間違いのない判決などあり得ないだろう。 西アフリカを産地とするカラパル豆は、その昔「裁きの豆」と呼ばれていた。 後の調査で、カラパル豆は半数致死量0.75mgという極めて強い毒性を持っていることがわかったが、かつて、この地方の原住民たちは事件が起こると、その容疑者にこの豆を食べさせ、死ねば有罪、生き残れば無罪・・・という評決を下していたという。 本当に無実の者は、恐れることなく豆をイッキに飲むので、胃が刺激されてすぐに吐き出すが、心やましい者は、恐る恐る少しずつ豆を食べるので、毒が徐々に吸収されて死んでしまう可能性が高い。 わかりやすいと言えば、わかりやすい方法だが、実際にはこのお陰で絶滅しかかった部族も少なくない・・・らしい。 それも天の裁き・・・と言えるか?
参考資料:「ニュースの大疑問」池上 彰=著 講談社=刊 「毒物雑学事典」大木幸介=著 講談社=刊
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